たびタビ旅
旅日記。中南米、アジアなどの2年4ヶ月半の旅。

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カラーシュバレーには3つの谷があります。
北からルンブール、ブンブレット、ビリールとなります。
一番行きやすいのがブンブレットで、チトラールからの直通の乗合ジープも数多く走っています。
僕が最初に来たのもここです。
3つの谷の中では一番栄えています。
栄えてるって言っても電話も通っていないような所ですけれど。
カラーシュバレーを気に入った僕は、3日間ブンブレットで過ごした後、ルンブールにも行ってみることにします。
ブンブレット〜ルンブール間にはたまにジープも走っているようですが、不定期でいつ出発するかもはっきりしないので、歩いていくことにします。
歩いても3〜4時間くらいみたいだし、途中、走ってくる車にヒッチハイクさせてもらうことも簡単であると聞いていました。
ということで後ろからくる車にちょっと期待しつつ歩いていたのですが、結局一台も来ず。
3時間ちょっとバックパックを背負って歩き続けることになりました。
景色は綺麗だったけれど、疲れた〜。

そんな苦労した甲斐もあり、ルンブールは良いところでした。
ブンブレットよりもさらに静かで長閑です。
ツーリストも少ないようで人々もより素朴な感じがします。
泊まった宿からの眺めも良く、本を読んでのんびりしても気持ちが良さそうです。
宿はカラーシュ族の人が経営するところに泊まったのですが、そこには7才くらいの女の子がいてこの子がまたおてんばで可愛い。
もちろん綺麗なカラーシュ族の衣装を着ているのですが、その服を着て柱によじ登ったり宿泊者にちょっかいだしたりして暴れまくってます。
それにしてもカラーシュ族の小さな女の子たちは、その外見から想像できないくらい活発な子が多いです。
せっかくの綺麗な服が汚れるよとこっちが心配になってしまうくらい、野原を泥んこになりながら駆けずり回っています。
まぁ、大人の女の人も同じ格好で畑仕事をしているので、彼らにとっては全くの普段着なんですよね。
こういう風に伝統的な衣装を気軽に着れる社会っていいなといつも思います。
日本もクールビズやらなんちゃらやと言っていますが、浴衣で会社に出勤できるようになると快適そうでいいのですが。
まぁ、そんなことは絶対にないでしょうがねぇ。
| sin | パキスタン(2) | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |


予定ではルンブールには3泊してチトラールに戻ることにしていたのですが、宿のオーナーに6月1日に親戚一同で一泊二日でヤギを連れて山に行く行事があるのだが一緒に行かないかと誘われたので予定を延ばし参加することにします。
カラーシュの人々と一緒に過ごせるというのも魅力的だが、なんと言ってもヤギと一緒に歩けるってのがたまりません。
ヤギってめちゃくちゃ可愛いですよ。
そして、今日は山の上で飼われているヤギを迎えにいくというので、一緒に連れていってもらいます。
一緒に行くメンバーは、10代後半くらいの男の子二人と10才前後の女の子二人、6、7才くらいの男の子、そして、同じ宿に泊まっている日本人のK夫妻です。
昼飯を食べてすぐ出発します。
オーナーに軽く行くか?みたいに誘われたので、1、2時間の散歩のようなものかなと気軽に考えていたのですが思ったよりも過酷であります。
風景が綺麗だと喜んでいたのは最初の30分くらいだけでした。
その後は、道なき道をひたすら登ります。
休憩をこまめに取ってくれますが、かなり急勾配です。
それに加えてすごく良い天気で、高地のため太陽の照りつけも厳しいのです。
のども渇いてきますが、こんなにも長く歩くと思っていなかったので、水も持ってきていません。
のどの渇きが疲れを倍増させます。
それでも旅の途中でさまざまな場所でトレッキングしてきた僕にとってこのくらいなんともないはず。
女の子や小さなぼうずどもに負けてられるかと先頭をきって歩きます。
しかし、なにかがおかしい。
体が重すぎます。
気力はあるのですが、体力がついてきません。
そして、いつの間にか気力もなくなってきます。
そんな僕を尻目に、ぼうずどもはぎゃーぎゃーと騒ぎながら先へ先へと歩いていきます。
途中で木なんかにもよじ登って遊んだりしています。
いったいあの小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのだ。
そして、女の子たちもあっさりと僕を抜き去っていきます。
な、なぜだ〜。
やはり山育ちの子供たちは強いのか〜。
と思うと、あっさりK夫妻にも追い抜いていかれます。
ああぁぁ‥‥いったいどうなっているのだ。
杖をつきながらよろよろと上っていく姿はおっさんどころか、それを通り越しおじいちゃんです。
やっとのことで目的地である山小屋に着いた時には4時を回っていました。
3時間もかかりました。
その場に倒れ込み、起き上がれません。
ぼうずどもは、ヤギを捜しにいったのかさらに上へ上へと行ってしまいます。
完敗‥‥。

そんな苦労してやってきたのにもかかわらず、山小屋には小さな子ヤギが一匹しかいません。
どうやら他のヤギたちは餌を食べにどこかに出かけているようで、帰ってくるのを小さな子ヤギと遊んだりしながら待ちます。
しかし、待てど暮らせどヤギは戻ってきません。
一緒に上ってきた女の子がこのままここにいると暗くなってしまうから先に下りようみたいなことを言ってきました。
あぁ、それならなんのためにここまで上ってきたのだというのだ。
がっくりです。
そうして、まだに下ろうとした時、山の上の方になにやら見えました。
お!?あれはもしかして‥‥。
あ、あれは、ヤギだ〜!!
何十匹ものヤギが下りてきます。
時には飛び跳ねるように駆け下り、時には止まって草を食べながら。
そして、30分くらいかけて山小屋まで下りてきました。
かわいいかわいい子ヤギたちです。
メーメーとこれまたかわいい声で鳴いています。
ヤギって本当にかわいいです。
日本でもペットとして飼いたいと思うくらいです。
首に紐をつけ散歩したら楽しいだろうな、なんて考えちゃったりします。
雑草も食ってくれるしね。
でもペットでヤギを飼うなんてあまり聞いたことはないし、なんか飼うのが難しい理由とかあるんでしょうかねぇ。

そんな子ヤギたちと麓まで一緒に下りていきます。
手に細い木の枝を持ち、それで子ヤギたちを追い立てていきます。
子ヤギたちは急な斜面を下りるのを怖気づいたり草を食べるために立ち止まったり、あったちこっち勝手な方向に歩いていこうとします。
そんな子ヤギたちをみんなで囲み尻を叩きつつ下りていくのです。
なんで羊を迎えに行くだけでこんなに大勢の人数で行かなければならないのか不思議に思っていましたが、謎が解けました。
そうしてゆっくりゆっくりと下りていったのですが、やはり上りとは違い1時間半ほどで戻ることができました。
ヤギたちとはいったん麓でお別れです。
それでは、ヤギちゃんたち、また明日会おうね〜。
| sin | パキスタン(2) | 21:40 | comments(0) | trackbacks(1) |


朝3時半に起床し、4時に宿を出ます。
ヤギを連れてのハイキングです。
カラーシュの人々は年に一度、このような行事を行っているようです。
祭りに続きこのような行事に参加できるとは運がいいです。
昨日山から連れてきた子ヤギに加え大人のヤギもいて、全部で150頭はいるでしょうか。
昨日のように木の枝で叩いたり、石を投げつけたりしながら、歩かせます。
男の人だけでなく女の人たちもビシビシと厳しく追い立てます。
いつも宿でご飯を作ってくれる大人しそうなオーナーの奥さんも慣れた手つきでヤギを扱います。
さすがにカラーシュの女って感じです。
みんな小さい頃からやらされているんでしょうね。
道は険しいですが、歩くペースはゆっくりゆっくりです。
休憩もたくさんとります。
昨日の疲れも残っているのか体も少しだるく重く感じるので助かります。

そして、何時間か歩いて何回目かの休憩の時、もらったくるみ入りのパンを食べながら座っていると、宿のおばちゃんが一人の若い女の子を指差しながら、嬉しそうに僕にはなしかけてきます。
それを聞いていた他の人々もみんな楽しそうに笑っています。
何を言っているのかはっきりとは分からないのですが、そのみんなの様子からするとどうやらこの女の子と結婚しないかみたいなことをふざけて言っているようなのです。
女の子は照れて、顔を隠してしまっています。
あぁ、僕も旅をここで終えることになるのか。
いや〜もてる男はつらいです。
ところで彼女は何歳くらいなのであろうか。
見たところ20才くらいに見えるのだが。
何才?
14才。
え‥‥!?
一回りどころか二回り近く僕と歳が離れています。
こりゃ、犯罪ですね。
旅は続けましょう。

ゆっくりゆっくりと歩いているものの、やはり長時間歩いていると疲れてきます。
なかなか目的地に到着しません。
12時を回っても歩き続けます。
最後は山の谷間を上へ上へと歩いていきます。
もうこの辺でいいんじゃねぇかもう勘弁してくれよと思いますが、みんなもくもくと歩き続けるので僕も歩かなくてはなりません。
もう僕はくたくたです。
周りの山の景色と可愛い子ヤギたちが僕の疲れを癒してくれます。
そして、14時、とうとう今晩の宿泊地である山小屋のある場所に到着します。
標高およそ2900m。
900mほど高度を上げてきたことになります。
すぐ横には氷河が見えます。
もう後はここでのんびりするだけです。
横になり疲れをとります。
しばらくすると子供がやかんに氷を削ったものを持ってきました。
どうやら氷河から削り取ってきたもののようです。
そして、それにイチゴシロップをかけて食べます。
氷河のカキ氷です。
僕も少し食べさせてもらいます。
冷たくて、甘くて、美味い。
そう言えばカキ氷なんて食ったの久しぶりだなぁ。

しばらくのんびりしていましたがふと手持ちの水がないことを思い出します。
山小屋の近くには水を汲める場所はありません。
ちょっと歩いて氷河を渡った所まで行かないとなりません。
疲れてはいましたが、水がないと困るので散歩がてら行くことにします。
この決断がこの後のあの惨事につながっていくとは、この時は知る由もありませんでしたが‥‥。
5分ほど石がごろごろしている道を歩くと氷河にたどり着きます。
そして、そこを横切ろうと歩き出します。
しかし、靴がつるつるとすべり思うように歩けません。
どうにか歩こうと悪戦苦闘しますがやはりうまくいきません。
いったんあきらめることにします。
もう少し上の方をためしてみようと、氷のない所まで戻り、そこから斜面を登ります。
しかしその斜面も砂地で不安定で思うように進めません。
どこか掴める場所はないかと探します。
すると目の前に手ごろな大きな石があるのが見えます。
それを掴みます。
そして、力を入れて体を引き上げようとすると、突然その石がぐらりと動き、転がり落ちたのです。
僕もバランスを崩し、一緒に後ろ向きに転がり落ちます。
そして、何かが僕の左手に当たったような感触がありました。
あまり痛みは感じません。
どうなったのだ。
恐る恐る左手の方に目をやります。
すると薬指と小指のつけねから手のひらがざっくりと裂け、そこになにやら見えてはいけないようなものが見えてしまっています。
そして、薬指がこれまた曲がってはいけない方向に向いてしまっているじゃありませんか。
いって〜!!
やってしまった〜!!!
傷口からみるみるうちに血が溢れ出します。
手首を押さえうずくまります。
うぉ〜!!っとひとり叫びます。
こんな山奥でなんて怪我をしてしまったんだ。
いったい僕はどうなってしまうんだ。
周りには誰もいません。
うぉ〜うぉ〜ひとり悶え苦しみます。
とりあえずみんなのいる山小屋まで行かなくては。
力を振り絞り立ち上がります。
斜面を歩きます。
すると突然足が滑ります。
そして、そのまま斜面を滑り落ちるように尻をぶつけながら落下。
おうおうおうおうああああああぁあぁぁ。
3〜4mは落下したでしょうか。
氷河のところでとまります。
ああ〜いったいなんなんだよ〜!!
うぉ〜!!!!!
幸い今回は怪我はありませんでした。
しかし、しばらくうずくまります。
こんな所でいつまでもくずくずしてはいけないと気力を奮い立たせ、再び歩きます。
そして、しばらく歩くと一緒に山を上ってきた羊飼いのおっちゃんが僕に気づいてくれました。
少しほっとします。
おっちゃんに抱きかかえられるようにして山小屋まで。
みんな僕の怪我を見てびっくりし、心配してくれます。
小さな子供の中には泣き出す子までいます。
時間は4時。
暗くなる前までに果たして町まで戻ることができるのか。
いや戻らなくてはならない。
とうていこの状態でここで一晩過ごすことはできない。
さっそく下りることにします。
道案内に男の人が二人ついてきてくれます。
日本人のK夫妻も僕の荷物を持って一緒に下りてくれます。
そして、みんなに別れを告げ歩き始めます。

下りは上ってきたのとは違う道を歩きます。
かなり平坦で歩きやすいので助かります。
これならなんとか明るいうちに宿まで戻ることができそうです。
歩いていると頭の中にいろんなことが浮かんできます。
なぜこんな怪我をしちゃったんだろう
子供たちを怖がらせ泣かせてしまってたな。
せっかくのみんなの楽しいイベントだったのに。
みんなすみません。
K夫妻にも予定を変更してわざわざついてきてもらうことになってしまった。
せっかく山で見る星空を楽しみにしていたのに。
怪我の具合はどうなんだろう。
骨折はひどいのだろうか。
指が動かなくなるような後遺症は残るのだろうか。
この旅もこれで終わりなのだろうか。
憧れのフンザにも行けないのだろうか。
フンザはパキスタン北部の中国国境にも近い場所にある地域で、7年前の旅で中国側から国境を越え訪れる予定だったのですが、まさに入国しうようとする直前911NYテロが起こりパキスタン入国が不可能になりあきらめたということがあったのです。
そして、今回もまた‥‥。
僕はフンザに行けない運命なのか。
そう考えるとなんとなくおかしくて、こんな状況にもかかわらずなんか笑みがこぼれてしまいます。
それにしてもどうしてこんな事故にあってしまったのだろう。
もしこの行事に参加していなければ。
もし上ってくる途中にあった川で水を汲んでいたならば。
もしあの岩を掴んでいなければ。
そうすれば今頃はなにごともなく過ごしていたであろう。
そんなたくさんの「もし」も頭に浮かびます。
でも、またちがった「もし」も頭に浮かびます。
もし石が手ではなく頭の上に落ちていたならば。
もし一人ではなく誰かと一緒にいて、石がその人に当たっていたら。
そんなことを考えると僕はなんとついているんだと思い気が軽くなってきます。
これは僕が自分で考え判断して行動してきた結果なので仕方ないのだ。
起こったことをそのまま受け入れなければならない。
これもまた旅の一部じゃないか。
しかし、手の痛み、そして、手がちゃんと治るのかということを考えると再びまた暗く沈みこんでしまうのです。

7時ごろには宿に戻ることができました。
しかし、ここルンブールには病院がありません。
すぐに荷物をまとめ、オーナーにジープの手配をしてもらい、チトラールに向かいます。
ジープはでこぼこ道を飛ばします。
早く病院に行って治療してもらいたい。
あとちょっとだぞ。
しかし、今日は日曜日、チトラールに着く頃には多分8時を回っている、果たして病院は開いているのだろうか、という不安も湧き出てきます。
たのむ開いててくれ。
病院の前に着くとそこには明かりがついていて、何人か人がいました。
ジープの運転手が訳を話してくれます。
どうやらドクターはいるようです。
良かった〜。
とりあえずほっとします。
僕は病院に入り、すぐに診察台の上に横にならされます。
手に消毒液のようなものをかけられ洗われます。
傷口しみて痛いですが、それよりもこびりついている血と泥をきれいに洗い流されて、治療してもらっていることの方が嬉しいです。
痛みのため目をつぶります。
しばらくして目を開けると‥‥。
真っ暗。
目を開けたのに真っ暗。
どうやら停電したようです。
こんな時に勘弁してほしいです。
病院だから自家発電装置がすぐ作動するのかと思っていたら、誰かが明かりを持ってきました。
懐中電灯かなにかかと思って見ると、それは携帯電話。
携帯電話の液晶画面の光で照らしているじゃありませんか。
おいおいおい、本当に勘弁してくれよ〜。
あわてて僕も自分が持っていたデジカメのスイッチを入れ液晶画面を光らせます。
50歩100歩ですけど。
でも幸いなことにすぐに電気は復旧しました。
よしよし。
そうしている間に手の洗浄は終わり、いよいよ手の傷を縫い合わせるようです。
やはり針で縫うってのは痛いのでしょうか。
ちょっと怖いです。
しばらくすると手にチクッチクッという感触を感じます。
おっ、いよいよ縫い始めたのか。
でもそんなに痛くはありません。
これぐらいならどうってことはありません。
で、そのチクッチクッが終わりこれで治療完了かと思って、手に目をやるとまだ縫われていません。
どうやらさっきのチクッは麻酔注射の痛みだったようです。
あちゃ〜。
それから15分ほど時間をおき麻酔がかかるを待ち、いよいよ縫い始めます。
ズクッ。
おおぉ。
麻酔は効いているもののやっぱり少し痛いし、針と糸が手に通されていく感覚がなんともいやな感じ。
早く終わってくれ〜。
目を閉じ耐えます。
すると顔に涼しい風が吹きつけるじゃありませんか。
なんの風だろうと目を開けると、看護士の兄ちゃんが口でフーフーと息を吹きかけているじゃありませんか。
兄ちゃん、気持ちは嬉しいんだけど‥‥。
可愛い女の子ならまだしもねぇ。

そして、そうしている間に無事に治療は終了。
手にぐるぐると包帯を巻き待合室のような所に連れていかれます。
そこには山からずっとついてきてくれていたK夫妻が待っていてくれました。
その顔を見た瞬間、ほんとうに心からほっとしました。
一緒についてきてくれたってだけでどれだけ心強かったでしょう。
本当にありがとうございました。
そして、買ってきてくれたペプシコーラ。
クワ〜ッ、うまかった〜。

病院を出て宿にチェックインしたのが夜10時過ぎ。
手の痛みで眠れるか心配だったのですが、痛み止めの薬が効いたのか、朝早くから動き続けて疲れきっていたからか、すぐにぐっすりと寝入ってしまいました。
こうして、僕の長い一日は終わったのでした。
| sin | パキスタン(2) | 17:02 | comments(2) | trackbacks(0) |


怪我した翌日、レントゲンを撮ると、やはり骨折していることが判明しました。
しかし、骨折箇所は薬指の根元の部分だけであったのが不幸中の幸いでした。
医者が言うには、手の甲の部分が折れていたならもっと大変だったということです。
ちょっとした骨折だからしばらくほおっておいたら治るとのこと。
手のひらはかなり腫れて、10針以上縫った傷は生々しく見るとげんなりしますが、定期的にきれいに消毒すればいいと言われます。
痛み止めの薬を飲んでいることもあるのかもしれませんが、痛みもそれほどはありません。
ようするに医者が言うにはこれくらいの怪我は「ノープロブレム」なのです。
しかし、です。
パキスタン人の「ノープロブレム」をそのまま素直に信じていいものなのか。
それもこんな山奥の小さな町の小さな病院で。
はたしてこれから僕はどうするべきなのか。
やはりここで旅を終了して日本に帰国してしっかりと治療するべきなのか。
それとも医者の言葉を信じて旅を続けるべきなのか。
僕としては中途半端な形で旅を終えたくないし、やはりフンザにも行ってみたい。
しかし、その反面こういった状態で旅を続けても楽しめないのではないかという気持ちもある。
そして、怪我はもっと深刻なものでありこのままほおっておいたら後で変な後遺症が残ってしまうのではないだろうかとう不安もあります。
気持ちもころころと変わります。
朝起きてよしこのまま旅を続けようと決断しても、夜にはやっぱり日本に帰ろうかなと思ったりします。
あ〜どうしよう、どうしよう。
そして、少ない脳みそをフル回転させて導き出された答えは‥‥。
首都イスラマバードのもっとしっかりとした大きな病院へ行こう!!
そこでもう一度怪我を診てもらい、大丈夫だというお墨付きを得て旅を続けよう‥‥というものでした。
たいした答えじゃないですが。
そう決めると、しばらくここチトラールでのんびりと静養しようと考えていたのですが、すぐにでもイスラマバードに行きたくなります。
よし、明日、出発だ!!
でも、ここからバスを乗り継いで2日の長い道のりなんだよなぁ。
| sin | パキスタン(2) | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |


チトラールからイスラマバードへ行く方法は、夜行バスで12時間かけてペシャワールへ戻りそこでバスを乗り換えて3時間走るというルートを通るのが一番の近道です。
しかし、そのルートを通りここまできたのでできるなら同じ道は通りたくないのです。
なのでもう一つのルートを通ることにします。
それはギルギットという町まで行き、そこから夜行バスに乗り向かうというものです。
その方法だと一日余分にかかってしまいますが、シャンドール峠という風景の綺麗な場所を通るので、その価値は充分あります。
まずはチトラールからシャンドール峠の少し手前にあるマスツージという村まで乗合ジープで3時間かけて移動しそこで一泊して、翌日朝6時発のバスに乗り10時間かけてギルギットに行くのです。
シャンドール峠は、標高が3600mほどある、ただっ広い草原が広がる場所です。
言われないと峠ということに気がつかなそうです。
真っ青な空に高い山々に湖があるそこの眺めは充分そこを通る価値のある美しい場所でした。
本当ならマスツージ以外にもこの辺りの村に何泊かしてこの風景を堪能したいところですが、怪我のことを考えるとそうそうゆっくりしてられないので一気にギルギットに移動します。
ほんとこの怪我さえなければなと思います。
そして、片手が自由に使えないってのはやはり不便です。
完全に使えないってわけじゃないけれど、力を入れることはできません。
カバンのものを出し入れしたり、シャワーを浴びるのも一苦労です。
洗濯した物をしっかり絞れませんし、パソコンのキーボードを打つことにもイライラさせられます。
まぁ、これが利き手の右手じゃなかったことを感謝したほうがいいのでしょうかね。
それにしてもほんと病気や怪我をすると健康の素晴らしさってのを理解することができますね。
人間、健康であれば幸せであります。

こんな怪我をした僕に、パキスタン人は容赦なくその左手はどうしたんだ?と質問を投げかけてきます。
最初の内は丁寧に答えていましたが、その内、あぁ、もううるさいんじゃ〜と言いたくなってきます。
どうせ答えたってそうかそうかと頷くだけで、荷物を持ってやろうとか、なんか飲み物をおごってやろうとかしてくれないのに、興味本位だけで聞いてくるんじゃねぇ〜。
えっ、たかが手の怪我くらいで僕は甘えすぎ?
| sin | パキスタン(2) | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) |


ギルギットからの夜行バスは17時間かけて朝8時にラワールピンディーに到着。
イスラマバードはこの町の北10kmほどに位置します。
イスラマバードは1966年に造られた計画都市なので、行政機関や高級住宅街が立ち並んでいるくらいで見所や安宿もほとんどなく、旅行者はみなラワールピンディーに宿泊します。
僕もさっそく宿を探します。
しかしです‥‥泊まる宿がなかなか見つからない。
ホテルがたくさん集まっている地域で手当たりしだいに部屋があるか訊いて回るのですが、部屋はない、外国人は駄目との冷たい言葉ばかり。
部屋は満室なのは分かるとして、なんで外国人が泊まることができないのか意味が分からん。
イライラします。
今日は土曜日、もしかして病院は午前中だけしか診察していないことも考えられるので、早く病院に行きたいのに。
そう思うと、余計焦ってきます。
そして、しらみつぶしに一軒一軒あたっていき、10軒ほど回った後ようやく泊めてくれる宿がみつかりました。
値段は350ルピー(約560円)と目安としていた200ルピーよりもかなり高いのですが、この際背に腹は変えられません。
泊まることにして、パスポートを見せます。
受付の男の子は、パスポートを見ながら台帳に僕の名前などを書き込んでいきます。
しかし、パキスタンビザのページを見ると、困ったなぁというよな渋い顔をします。
そして、このビザは期限が切れているから泊めることができないと言ってくるじゃありませんか。
僕のビザはネパールで取ったものなんですけれど、そこには有効期限の日付が書いてあり、それは確かに2008年5月15日までとなっており過ぎています。
しかし、それは5月15日までに入国しなければならないという意味で、入国してから3ヶ月滞在できるのです。
それを説明しますが、彼はなかなか理解してくれません。
僕はなんで値段が高くそんなに設備も良いとは思えない宿に泊まるためにこんなに必死にならなければならないのだと疑問を抱きつつ、さらに説得を続けます。
そして、僕の熱意が伝わったのか、どうにか泊めてもらうことになりました。
ふ〜これでどうにか病院に向かうことができます。

目指す病院はイスラマバードにあります。
市バスでも行けるのですが、こんな時にケチっても仕方ないので、150ルピー払いタクシー乗り向かいます。
30分ほどで着いた病院は、日本にある病院のような大きくて綺麗なものです。
これならなんとか安心して診てもらうことができそうです。
広い建物の中をあっち行ったりこっち行ったりして診察してもらえる段取りをつけました。
しばらく待合室で待たされます。
1時間ほど待たされ、いよいよ診察室に呼ばれました。
ドクターは初老の少し頭の禿げ上がった中肉中背のおっちゃんです。
僕は包帯を外し手を見せます。
ドクターはそれをしばらくじっと見ると僕にこう言います。
「う〜ん、これはたいしたことないね。とりあえず軽く消毒して飲み薬を出しておきましょう。骨もそのまま固定しておけば自然に治るよ。」
よし!これで再び旅を再開することができるぞ〜、明日には再び夜行バスに乗りギルギットに戻るぞ〜、そして、その後はいよいよフンザだ〜!!
‥‥‥という展開をを予想していたのですが、現実のドクターのお言葉は‥‥。
「う〜ん、君、入院が必要だね。」
え?入院!?
なんで単なる手の怪我ですよ‥‥。
ドクターの説明によると、傷口からなにかの菌が入り感染症にかかっているとのこと。
まずこれを1日3回の抗生物質の点滴によって治さなくてはならないので入院しなければならないとのこと。
なんてこったい。
こうして苦労して見つけた350ルピーも払った宿をわずか数時間でチェックアウトして、僕のパキスタンでの入院生活が始まったのでした。
| sin | パキスタン(2) | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) |


入院生活はとにかく退屈です。
手の治療をする前に、とりあえず感染症を治さないといけないとのことで、抗生物質を朝、昼、晩と3回点滴します。
しかし、それ以外は特にすることはないのです。
病院の近辺にもなにもないので、おとなしく病室で過ごすしかありません。
部屋は、なんとプライベートルームです。
トイレ、シャワー、テレビもあります。
なぜこんな贅沢ができるのかと言うと、旅行保険に入っていたからです。
2年間の保険に入っていたのです。
その期限は、6月13日まで。
ぎりぎり、セーフ。
怪我をしてなんですが、ついてます。
保険会社に連絡すると、すぐに現地のエージェントの人が来てくれて支払いの手続きをしてくれました。
ありがたいことです。
そんな訳で冷房完備の3食付の優雅な入院生活を送っているのですが、先ほどもいいましたようにやっぱり退屈なんです。
できることといったら、テレビを見るか、本を読むか、日記を書くかといったようなことだけです。
しかし、その数少ない楽しみのひとつであるテレビなんですが、これにイライラさせられるのです。
まず僕の好きなスポーツのチャンネルが少ないのです。
CNNなども入るケーブルテレビなのですが、なぜかESPN(スポーツ専門番組)が映らない。
よってメジャーリーグや、ファイナルが行われているNBAも見られない。
現在スイス、オーストリアで開催されているユーロ2008の試合も見れない。
やっているのは僕がそのおもしろさを全く理解できないクリケットのみ。
いったいこのスポーツのなにがおもしろいんだ。
インド人、パキスタン人、バングラデシュ人、なんでそんなに熱狂できるのだ〜。
スポーツが駄目なら映画はどうだ?
ハリウッド映画を流すチャンネルは2つほどあります。
吹き替えでなくちゃんとオリジナルで流してくれるのですが、これまた大きな問題を抱えているのです。
それはなにかというと、番組の途中で突然画面が消えてしまうのです。
停電の影響かもしれないですが、突然画面がザーとなり電波が受信されていませんという表示になってしまうのです。
何度これに泣かされたか。
映画を見ていてちょうど1時間半ほど経ち、これからクライマックスに向かい盛り上がっていくという時に、プチッ、ザーーー‥‥‥。
ウォー、個室に僕の叫び声が響き渡ります。

そんな病院での生活で僕を癒してくれるのがナースであります。
チトラールの病院では女の看護士が一人もいなかったので、パキスタンではそういうものなのかなと思っていたのですが、ここには大勢の女性の看護士がいます。
あまり女性の姿を見ることができないパキスタンにおいて、そんな看護士たちと話したりするのは嬉しいものがあります。
そんな看護士に薬を飲ませてもらっちゃたりしたなら、もうたまりません。
あぁ看護士、最近では看護婦とは呼ばないみたいですがここではあえて言わせてもらいます。
看護婦、ばんざ〜い!!

そして、看護婦以外に僕を癒してくれるもうひとつのもの。
それは、食事。
やはり病院食だからなのか塩気やスパイシーさは抑えてありますが、マトンカレー、チキンカレーにチャパティーなでのパキスタン料理はなかなか美味しいものがあります。
食事の時間が近づくとウキウキしてきます。
ただ食事に不満があるとしたら、量が少ないということでしょうか。
僕にとっては、腹8分目どころか7分目くらいです。
でもほとんど歩かない生活なのでそれでちょうど良いのか。
もしかしたらダイエットになるかもしれないし。
と思ったら空腹に耐え切れず、病院内の売店でポテトチップスを買ってしまいました。
意思の弱い僕‥‥。
| sin | パキスタン(2) | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0) |


6月14日は僕が日本を出発した日です。
ということは今日で旅を始めて2年が経ったということになります。
まさかそのような日に手術を受けることになるとは夢にも思わなかったです。
ほんと旅はなにが起こるか分かりませんね。
予定では2日前に、切った手のひらを再度縫合して折れた指を固定する手術をすることになっていたのですが、まだ傷口が完全にきれいになっていないとのことで延期になったのです。
手術のため朝食は抜きです。
ただでさえ少ない量のご飯を食べることができないなんて考えるだけでも辛いですが、意外と苦になりません。
僕は今まで手術とかしたことがないので、やはり少し緊張しているのでしょうか。
たかが手の手術でこうなんですから、頭とか心臓の手術をする人はかなり怖いでしょうね。
あらためて手の怪我だけで済んだことに感謝せずにはいられません。
部屋のテレビでCNNのニュースを見て待ちます。
CNNでは連日、災害、事故のニュースを流しています。
日本では通り魔により7人の方が亡くなり、アメリカではボーイスカウトのキャンプ場を竜巻に襲われ2人が死亡、スーダンでは飛行機が炎上、中国の四川省、ギリシャ、日本で立て続けに地震が起こり大勢の人が亡くなっています。
このような事件災害で亡くなった人たちは、それが起こる瞬間まで自分が死ぬとは思ってもいなかったでしょう。
そう考えると、平均寿命が80才だなんだと言っていますが、人間いつ死ぬなんて分からないもんだなんて考えたりします。
はたして今、死んだなら僕は後悔のない人生だったのだろうか。
う〜ん、難しい問題です。
でも、まだまだ生きて楽しみたいですね。
こんな柄にもないことを考えてしまうのも、病院に入院しているからなのでしょうか。
まぁ、まったく命の別状もない単なる手の怪我なんですけれど‥‥。

10時半頃、部屋に看護婦が呼びにきます。
エレベーターに乗ってワンフロアー下の手術室のある階に行きます。
そこには手術着をきたドクター、ナースがたくさん忙しそうにしています。
僕はストレッチャーの上に横にならされます。
しばらく天井を眺めながら待ちます。
いよいよ手術です。
痛いのであろうか。
パキスタンで手術かぁ。
変な感じです。
ナースが僕の横に来て、ストレッチャーを押して移動させ始めます。
天井が僕の上で流れていきます。
おっ、なんか映画のワンシーンみたいだ。
手術室に入りストレッチャーは手術台に横付けされます。
そのまま僕は手術台に移動します。
たくさんの人が周りにいて、上にはたくさんのライトが光っています。
おお〜これまた映画みたいだ。
主治医の先生が僕に話しかけてきます。
よろしくお願いしますよ。
手を伸ばされます。
いよいよだ〜痛いのか〜。
‥‥‥‥。

‥‥‥‥。
目が覚めます。
いつの間にか寝ていたようです。
時間はいつの間にか2時間ほど経過しています。
どうやら麻酔で眠らされていたようです。
どのように手術が行われたのか見ることをできなかった残念さと、痛を感じることなしに終えてほっとした感覚が入り混じります。
手を見ると新たに包帯が巻きなおされています。
どうやら手術は無事に終わったようです。
よっしゃ〜。
でも、いって〜。
手がずきずきするよ〜。
でもこれが治るってことの痛みなんだよね。
良かった。
でも、やっぱりいて〜!!
| sin | パキスタン(2) | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) |


いよいよ退院できるかもしれない日です。
手術が終わった日に、月曜日に一度傷の状態をチェックして問題なけらば退院だと言われていたのです。
朝からそわそわして診察しつに呼ばれるのを待ちます。
テレビを見ますが、あまり集中することはできません。
どうか傷が良くなっていますように。
病室の居心地はいいのですが、さすがにもう退院したいです。
そして、10時半に看護婦が呼びにきます。
いよいよです。
エレベーターに乗り3階から整形外科のある地下一階まで下ります。
そして、診療室に入ります。
10分ほどして主治医のドクターが入ってきます。
手に巻かれた包帯をハサミで切り外します。
久しぶりに見る左手です。
手はまだかなり腫れています。
しかし、傷口は前よりしっかりとくっついているように思えます。
骨折した薬指からは鉄のピンが2本出ており、ちょっとびびります。
どうやらそれで骨を固定しているようなのですが、鉄のピンが指に刺さっているのを見るのはあまり気持ちの良いものではありません。
ドクターは手を見ます。
そして、‥‥‥。
「エクセレント!!」と言いい続けます、「もう家に帰っていいよ。」
お〜やった〜。
でも旅を続けることはできるのか?この手に刺さっているピンをとるにはまた手術とか大がかりなことが必要なのか?どうなのだ〜!?
ドクターは大丈夫、ピンは簡単にとれるからどこにいても病院に行けばやってくれるので、旅を続けてもいいよ、と言います。
よっしゃ〜。
これで退院できる、これで旅が続けることができる〜!!
さっそく荷物をまとめ、世話になった看護士らに挨拶します。
そして、ザックを背負い、階段を下り、ドアから外に出ます。
外は明るく、そして、暑い。
これで僕は自由だ。
とりあえず元気になったのだ。
どこへでも好きな所へ行けるのだ。
この病院にわざわざ来て良かった。
もしチトラールの病院で大丈夫だと言われたことを信じそのまま旅を続けていたら、傷や感染症がもっとひどくなっていて大変なことになったかもしれない。
本当に良かった。
しかし、改めて僕は恵まれていると思う。
もしカラーシュの谷に住む人々が僕と同じようなケガをしても、僕と同じようにイスラマバードの医療水準の高い病院で診察してもらうことは費用のことを考えるとできなかったであろう。
チトラールの病院で言われたことを信用して治療を続けるしかない。
僕は今回保険に入っていたということもあるが、やはり日本という経済大国に生まれた人間なのでこういうことが普通にできてしまうのである。
カラーシュの人々を見ているとのんびりと幸せそうに生きていて羨ましいなと思うのですが、その裏にはやはりケガや病気をした時には適切な治療を受けられないかもしれないというリスクを抱えているのだということに気づかされます。
しかし、世界的に見るとほとんどの人がそういう人たちで、日本のような先進国諸国の人々はほんの少ししか占めているいにすぎない。
そのわずかな中に含まれている僕は、やっぱり幸せな人間なのです。

ラワールピンディーの宿にチェックインします。
病院と違い、汚く、冷房はなく、停電もあり、寝苦しい夜を過ごさなくてはなりません。
でも、そんなことは問題ではないのです。
カレーでも焼き鳥でもご飯でもチャパティーでもマンゴーでもソフトクリームでも好きな物を好きな時に食えるのだ。
雑踏の中を人ごみをかき分け店をのぞきながら歩く。
楽しい〜。
やっぱりシャバは最高です!!
| sin | パキスタン(2) | 19:10 | comments(0) | trackbacks(1) |


退院はしたもののできるなら一週間後にもう一度ケガの様子を見せに来いと言われたので、やっぱり少し不安もあったので行くことにします。
しかし、イスラマバードやラワールピンディーにはあまり観光する所も無くなくつまらないので、ここからバスで3時間ほどの場所にあるペシャワールに移動しました。
ほんの一ヶ月前にも行ったのですが、町の雰囲気も好きだったし、そこでやり残したことがあったのです。
それはババジイツアー。
通称ババジイと呼ばれるおじいちゃんが、アフガンマーケットやトライバルエリアのマーケット、銃の製造工場、デコトラの工場んどを案内してくれるのです。
前回訪れた時は、たいしたことはないんじゃないかと思っていたのですが、その後出会った旅行者からおもしろかった〜という話を聞かされ悔しい思いをしていたのです。
せっかくなのでこの機会に参加することにします。
このババジイは店を構えているわけではなく、新市街のサダルストリート沿いのモスクの裏にあるジュース屋に現れるというのです。
そのジュース屋に夕方行くと店の店員がババジイは明日の朝10時に来るからと教えてくれたので出直すことにします。

そして、朝行くと立派な白いヒゲを顔中にたくわえたおじいちゃんが杖をつきながらひょこひょこと歩いてきました。
ババジイは足が悪いのです。
お茶を飲みながら、ツアーで訪れる場所、料金などを話し合い、さっそくツアーを始めることになりました。
ツアーと言っても専用の車に乗ってるのではなく、公共の乗り物に乗り回るというものです。
ババジイは足がかなり痛いみたいで、歩くのもかなりつらそうです。
バスに乗り降りする時や、階段を上り下りする時は、助けてあげなくてはなりません。
ツアーというよりおじいちゃんと一緒にお出かけって感じです。
まず連れていかれたのが、アフガンバザール。
ここはアフガニスタンから逃れてきた難民が営むマーケットです。
野菜や肉んどの生鮮品、服や音楽テープなどの日用品や食堂が並んでいます。
ここで話されているのもアフガニスタンの言葉のようです。
他のパキスタンのマーケットとそんなに違いがないように思えますが、大きな袋を担いだ子供たちが通りを歩いているのが目立ちます。
ババジイによると子供らはプラスチックなどを集めているとのことです。
しかし、1キロ集めてもわずかに2ルピー(約3円)くらいにしかならないとのこと。
いったい一日歩き回っていくらになるというのでしょうか。
学校も行かずそのような生活を送っているようですが、その子供たちみんな表情が明るく楽しそうなのが印象的でした。

お次は、トライバルエリアにあるマーケット。
トライバルエリアは、パキスタンの法の力が及ばない部族の掟が支配する地域です。
そこはやっぱりあまり治安は良くないみたいで、ババジイもちょっとナーバスになっています。
僕の長い髪は良くないと、髪を覆うための布を買わされます。
そのバザールにはアフガニスタンから流れてきたアメリカ軍の物資なども置かれています。
テレビなどの電化製品もあるのだが、パキスタン政府の力も及ばないので無税であるため安いらしい。
なぜか日本のガムなども売っていました。
そして、その後バザールを通り過ぎ、連れていかれた一軒の家。
その部屋に通されると、そこにはおっちゃんがいて、ハシシや米ドル、パキスタンの偽札、ペン型の銃などを見せてくれます。
う〜ん、かなり怪しいです。
さすがにトライバルエリアです。
買わないかと誘われましたが、遠慮させていただきました。
そして、その家から出る時には見せてくれたおっちゃんがお別れの挨拶だという風に僕に抱きついてきて、強く強くぎゅーっと抱きしめてきました。
そして、お尻をがっしっとつかんできます。
おっちゃん、息をハーハーさせてます。
いや〜、トライバルエリア恐るべしです。

そして、本来ならばこの後、まだツアーは続くのですが、ババジイにもし時間があるなら明日にしてくれと頼まれたので、二日に分けて行うことにします。
ババジイほんとうに辛そうです。
こんなに参加者が気を使うツアーもないでしょうね。
| sin | パキスタン(2) | 19:45 | comments(0) | trackbacks(2) |
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