たびタビ旅
旅日記。中南米、アジアなどの2年4ヶ月半の旅。

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アデンからバスは東へ、アラビア海沿いの一本道をひた走ります。
右を見れば、そこにはエメラルド色の海。
左には、茶色の荒野が広がり、その奥には赤茶けた山が連なるのが見える。
アラビア半島を、異国の地を、旅しているのだという実感が沸きます。
同じような荒野の中を走っているためか、南米パタゴニアを旅した時のことを思い出したりもします。

バスは、突然、停車します。
そこには、なにか建物があるわけではない。
やはり、そこには砂漠と海が見えるだけ。
乗客はバスを降りていきます。
そう、トイレ休憩です。
と言ってもこんな場所にトイレがある訳でもなく、みんな思い思いの場所に散っていき、用をたします。
しかし、その光景で日本とあきらかに違うことがあります。
それは、みんな男なのにもかかわらず、しゃがんで小便をしているということなのです。
立ちションならぬ、座りションなのです。
視界を遮るような高い木などがない砂漠や荒野ばかりの世界では、立ってするよりも座ってするほうが自然のことなのでしょう。
しかし、日本で育ち、立ってすることに慣れた僕にはやはり違和感を感じざるをえません。

ふと、いつかインターネットで読んだある記事を思い出しました。
詳しい数字は覚えてないのですが、日本人男性のかなりの割合の人(多分3割とか4割)が、家で小便をする時には便座に座ってするという内容のもの。
僕にとっては、この数字はちょっとしたショックでありました。
男って立って小便をするものではないのかと。
その記事の中で挙げられていた座ってする主な理由は、立ってすると便器の周りに小便が飛び散り汚れてしまうため、奥さんなどから立ってすることを禁じられたというもの。
おいおい男たるものそんなことを言われたくらいで、座ってやってしまっていいものなのか。
男としてのプライドはないのかと僕は声を大にして言いたい。
そんなしょうもないプライドを持っててなんの意味がある訳?なんてことを嫁さんから言われてしまうのでしょうか。
独身の僕には到底理解できないような、恐ろしい問題がそこに秘められているのでしょうか。
そんな僕にも座ってする日が訪れるのかもしれません。
あの頃はまだ若かったな、なんて考えながら‥‥。

アラビア半島の荒野の中でふとそんなことを考えてしまったのでした。
| sin | イエメン(2) | 16:05 | comments(0) | trackbacks(0) |


ムッカラからサユーンへ、乗合タクシーで4時間ほどかけて移動します。
途中、昼飯休憩でレストランに立ち寄ります。
タクシーを降りてレストランに向かうと、なんとそこの前には日本の大手スーパー「ジャスコ」の物流車が止まっているじゃありませんか。
もしかして、イエメンにもイオングループが進出か!?
‥‥なんてことは絶対になく、単に日本で使われていた中古車をイエメンが輸入して使っているだけなのであります。
このように、イエメンには数多くの日本の中古車が走っています。
その中には、日本語で車体に書かれた表記がそのままなものも多くあります。
「○×運送」「×△工業」「×○建設」「△○物流」「お菓子の○△」などなど。
こんなに日本語が書かれた自動車を見るのは、ミャンマー、ボリビア以来でしょう。
しかし、「○×運送」の人もまさか自分たちが使っていたトラックが、日本から遠く離れたアラビア半島の南端で使われているなんて夢にも思ってないでしょうね。
みなさん、あなたたちが大切に使っていたトラックは、ここイエメンで元気に走ってますよ〜。
| sin | イエメン(2) | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) |


サユーンは、イエメン東部の広大な砂漠の中にあるワディーハダラマートと呼ばれる長さ160km、幅は平均2kmもある巨大な谷の底に位置する町です。
首都サナアからも遠く、隣国オマーンの国境にも近いこともあるのか、カートを噛んでいる人も少なく、今までのイエメンとは少し違った印象を受けます。
人々もあまりフレンドリーでないようない感じるのは、僕の気のせいでしょうか。
この町自体にはあまり見所はないのですが、18kmほど離れた場所にシバームという世界遺産にも指定されている小さな町があります。
シバームは、世界最古の摩天楼の町、砂漠のマンハッタンなどと呼ばれており、高さ30mにもなる建物がところ狭しと立てられているのです。
ニューヨークのマンハッタンは建物が建てられたかだか2、300年の歴史しかないが、こちらは8世紀頃から建て始められたという由緒正しい?摩天楼の町です。
ですから、むしろニューヨークの方こそ、ニューヨークのシバームと言うべきなのかもしれませんね。(そんなわけはないか。)
しかし、ここシバームの建造物、高さ100mを越える高層ビルが林立するマンハッタンと比べると、かなり脆弱な造りであります。
ちょうど家を建てている人たちがいて、その現場をちょっと見せてもらったのですが、泥に草を混ぜて乾燥させた日干し煉瓦を、これまた泥をコンクリート代わりに使用しくっつけ、積み重ねて壁を作っているのです。
床はというと、木の棒を横に渡しその上に草を重ね、またその上に日干し煉瓦を置いているだけなのです。
この方法で高さ30mまで部屋を積み上げていっているのです。
イエメンは地震がなにのでこの方法で問題ないようなのですが、地震の多い日本で暮らしている身にとって、もし地震が起こったならと考えざるをえません。
それにしても、この建築方法は多分1000年以上も前から変わっていないんでしょうね。
そんな建物に現在も住む人々がいる国。
イエメン、恐るべしです。
| sin | イエメン(2) | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |


朝5時半発のバスに乗り、サナアへ戻ります。
約10時間のバスの旅です。
夜行バスもあるのですが、景色を眺めながらのんびりバスの旅もいいかと思い、昼のバスにしました。
サユーンに着いた日に前もってチケットを買ったのですが、これがなかなか大変でした。
まず、大手のバス会社でもあるイエメティコのオフィスへ行ったのですが、そこでいきなり販売拒否を受けます。
その後も数社、同じように拒否されます。
何故このようなことが起きるのかといいますと、サユーン〜サナア間に少し治安情勢の不安定な地域があり、そこを通る時バスに外国人が乗っていると検問の警察官とバスの運転手が揉めることがあり、それを嫌ってバス会社は外国人にチケットを売りたがらないのです。
しかし、それでもその後何軒かバス会社を回り、ローカルプライスの倍の3200リヤル(約1900円)という値段でしたが、なんとかサナア行きのチケットを手に入れることができたのです。
倍の料金を払うことは悔しいですが、飛行機に乗ることを考えたら安いものです。

出発当日、出発30分前に来てくれと言われていたので、5時にバス乗り場に行きます。
しかし、そこにはまだバスは来ていませんでしたし、他の乗客の姿も見えませんでした。
少し早く来すぎたのか、その内来るだろうと思い、しばらくそこで待ちますが、15分経ってもバスも他の乗客も現れません。
いったいどういうことだ。
少し不安になります。
もしかして乗り場を間違えているのか。
近くのモスクに朝のお祈りに来た人を捉まえ、バスのチケットを見せ、ここであっているのかと尋ねると、あっていると言う。
しかし、それでもバスは来ない。
何故だ?
そして、出発の予定時刻5時半になりました。
その時、バイクに乗った若い兄ちゃんが僕に近づいてきます。
僕の横に止まったと思うと「ノー バス トゥデイ」と言って3200リヤルを差し出してくるじゃありませんか。
おいおい、今さらそんなことを言われ返金されたって、こっちは困るんだよ。
どうにかしてくれよ〜と言おうにも、相手は英語をほとんど理解できないし、こっちはアラビア語をまったく話せない。
その内、兄ちゃんはバイクでとっとと去っていった。
こうなった今、とにかく他のバスを自力で見つけなければならない。
周りにいた人が、イエメティコのオフィスに行けというので、駄目元で行ってみる。
が、やはり売ってくれない。
いったいどうすればいいのか。
途方に暮れかけた時、広場に一台のぼろっちいバスが止まっているのが目に入る。
サナアに行くのかと尋ねる。
行く、と言う。
僕を乗せてくれるかと訪ねる。
乗せる、と言う。
おお〜、助かった〜。
しかも料金は2000リヤルと安いじゃないですか。
結果オーライであります。

しかし、このバス、なんとも変わったバスでした。
普通の大型バスなんですが、客は僕を含めて3名のみ。
これでは、10時間もの距離を走るガソリン代も出ないのではないかと、僕の方が心配にもなります。
ドライバーのおっちゃんは、そんなことを気にする様子もなく、がんがんとばしてバスを走らせていきます。
会社に雇われているだけだからなのか、客がいようといまいと関係なにのだろうか。
検問は何ヶ所かあり、もめたらいやだと思っていたのですが、ドライバーのおっちゃんがなんとも頼りになるやつで、日本人が乗っているがなんか文句がある?みたいな感じで有無を言わせず通過していきます。
おっちゃん、かっこいい〜。
乗客のおっちゃんも、すごく良い人で僕にいろいろと気を使ってくれ、食事休憩の度に僕に一緒に食べに行くぞといって誘ってくれ、ご馳走してくれます。
イエメン人の人はいつもご馳走になってばかりなので、これを当たり前のことに思ってしまう自分が少し怖くもあります。

バスは、4時半にサナアに到着。
最初はどうなることかと思いましたが、楽しいバスの旅でした。
でも、朝早起きしたため午前中はずっと寝ていたし、午後は午後で車内で上映された映画を見ていたため、あまり外の風景を眺めていなかったような気がします。
昼の便にした意味は、あったような、ないような‥‥。
| sin | イエメン(2) | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) |


イエメンにもハンマーム(蒸し風呂)があります。
昔オスマントルコに支配されている時に伝わったものらしいです。
これは、やっぱり行っとかなあかんでしょう。
設備はトルコの物より劣り、寝転がるための台はなく暖められた床に直接座らなければならないが、気持ち良く汗を流すことができるのは変わりない。
入浴料は200リヤル(約120円)であり、トルコが約500円だったことを考えれば文句は言えない。
僕が頭や体を洗っていると、イエメン人のおっちゃんがお湯を桶ですくいかけてくれる。
そして、こっちへ来いこっちへ来いと呼ばれるので、行ってみると垢すりまでしてくれる。
何度も書いてますが、イエメン人は本当に親切な人が多いです。
体はぽっかぽっかに温まりました。
ハンマームを出ると、サナアのひんやりとした夕方の空気がほてった肌に刺すようで気持ちが良い。
そして、350ccの瓶入りのファンタ(約12円)をごくりと飲み干す。
うめぇ。
こりゃ、また来るね。

このハンマーム、入浴は時間によって男と女に分けられています。
あのいつも全身を隠したイエメン人女性がこのハンマームでは全てをさらけ出しているのだ。
いったいどのような光景なのであろう。
是非とも僕も見てみたいものだ。
あっ、これじゃぁ、僕はただの変態ですね‥‥。
| sin | イエメン(2) | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |


サナアでかなりびっくりするような再会があった。
サユーンから戻り、宿にチェックインしようとした時に、ちょうど部屋が空くのを待っている日本人の男の人がいて、二人で部屋をシェアしようということになった。
その時は、どこかで見たことがあるような人だなと思ったが、特に深くは考えなかった。
その後、二人で夕食を食べに行こうと食堂に向かって歩きながら話をしていたら、突然思い出したのです。
なんと、約8ヶ月前にコロンビアのサンタマルタという町にいる時、ホテルのロビーで会って5分ほど話した人だったのです。
今までいろんな再会をしましたが、これにはちょっと驚きました。
8ヶ月ぶりの再会というのもすごいですが、コロンビアとイエメンという場所もまたすごい。
長い旅をしているといろんなことが起こるもんです。
この人は、なかなかおもしろい人で、ロンドンやニューヨークなどで働いてお金を貯めて旅を続けているのです。
僕が、コロンビアで出会った時は、ちょうどコロンビアに何ヶ月か滞在してサルサを学んでいた時だったみたいなのです。
また、はっきり答えてはくれなかったのですが、日本には5、6年は帰ってないようです。
いや〜世の中にはいろんな人がいるもんですね。
えっ、僕も人のことは言えないですか?

二人で夜、話をしていると、話題が尽きることなく、ついつい夜遅く、明け方まで起きていてしまいます。
今日は、朝早く起きて日帰りでマナハとハジャラという町に行く予定にしていましたので、3時間ほどの睡眠しか取ることができませんでした。
サナアからマナハにいたる道は、イエメン一と言っていい景勝ルートであるらしい。
しかし、マナハへ向かう乗合タクシーの中で寝不足の僕が起きてられるはずもなく、隣のおっちゃんに寄りかかり爆睡であります。
やっぱり寝不足はいかんです。
寝不足の影響は、人に対する態度にも表れてきます。
話しかけてくるイエメン人の男たち、子供たちが鬱陶しく感じてしまい、ついつい冷たく接してしまいます。
人間、精神的肉体的に弱くなった時に人間の本性が出てきてしまうものですかね。
えっ、寝不足ごときそんな大層なものではない?
すいません、本性以前の問題でした。
| sin | イエメン(2) | 22:29 | comments(2) | trackbacks(0) |


サナアの北にあるシャハラという町を訪ねます。
この町には残念ながら旅行会社を通してのツアーでしか行けません。
個人ではパーミッション(許可)がおりないのです。
イエメンでは、サナア以外の町を旅する場合、ツーリストポリスへ行ってその町を旅するという許可を得なければならないのです。
イエメンは、サナアなど普通の町を旅するには、治安は全く問題ない。
それは、僕が旅してきた国の中でも一番いいのではないかと思うくらいだ。
ですから、僕も危険に対するレーダーのレベルを最低限にして、人々と接するようにしている。
しかし、イエメンには部族という考え方が根強く残っており、それが国内紛争の火種となっているのです。
そして、政府に反感を持つ一部の部族が、政府に対する交渉のカードとして外国人旅行者を誘拐するという事件が残念ながら起きている。
シャハラもそのような地域に含まれてしまっているのだ。

ツアーは、一泊二日で、往復の自動車のチャーター料、ガイド料、アーミーによる護衛の料金を含めて、170USドルかかる。
さらに、ホテルの宿泊費に別途10ドルほどかかってしまう。
この価格、物価の安いイエメンではかなり高く感じてしまうが、幸いなことに人数が集まれば170ドルは参加人数で割ることができるのだ。
そのため、お金を節約すべく一緒に行く人を探したのだが、なかなか見つからない。
一人で170ドルは高いがどうしようかと思い、料金の確認のため旅行代理店に行ってみる。
するとそこの人に、金曜日に日本人が一人で行くことになっているので、一緒に参加するのなら85ドルで行けるよと、提案してくれたのです。
そうして、今日、シャハラに行くことになったのです。

一緒にシャハラに行くことになったのは、日本人のT君。
会社員で12日間の休暇を取りイエメンの旅をしているらしい。
会うのは、今日が初めてだが、感じの良い人であり少しほっとする。
可愛い女の子ならなおさら良かったのだが、そんな贅沢なことは言いませぬ。
車は、検問を一回受けた後、まずアムランという町に到着。
1時間ばかし、この町の旧市街を見学する。
ここの子供たち、かなり人懐っこく、たくさんの写真を撮った、というより撮らされた。
その後、車に乗り込み、再びシャハラを目指します。
するとまた検問所にあたりました。
そして、ここからアーミーの護衛が付く。
僕らと他のツアーの2台の車に対して、一台のアーミーのトラックが付くのだが、これがなかなかいかつい。
そのトラックの荷台にはでっかい機関銃が備え付けられており、また荷台には8人ものライフルを担いだ迷彩服を着たアーミーが乗り込んでいる。
こんなにすごい護衛が付くって、どんなやつらが襲ってくるのだと思ったら、さらに道を進むと道行く人がライフルを肩からぶら下げて歩いているのが目立つようになってくる。
サナアの人がジャンビーアを持つように、この辺りではみんなライフルを持つようだ。

車は、未舗装の凸凹道を1時間ほど走ると、山の麓に到着。
その山の天辺を見上げると、そこには小さな町が見える。
そここそが、シャハラなのである。
そこでトラックに乗り換える。
運転手は、16才だという子供のような男の子。
ガイドに、イエメンでは16才でも車の免許は取れるのかと尋ねると、サナアでは駄目だがここではノープロブレムだと言って、笑っていた。
トラックは、傾斜30度はあるのではないかという急斜面の道を上っていく。
荷台に乗っていた僕は、とてもじゃないが尻が痛くて座ってなんていられない。
手すりに掴まり、立って乗る。
しかし、道中の景色は素晴らしい。
何重にも重なる黒い岩肌の見える山々が、遥か遠くまで見渡すことができる。
こんな風景がアラビア半島のイエメンにあるなんて誰が想像することができるであろう。
雨季には、この辺りには緑の木々が生い茂り、あたり一面緑になるらしい。

一時間ほどで頂上のシャハラの町に到着。
ここは、16〜17世紀に、アラビア半島が巨大なオスマントルコの統治下にあった時代にも抵抗し続け独立を保ち続けたという勇敢な山岳部族が暮らす町。
そのあまりにも激しい抵抗のため、トルコ側に多大な犠牲者が出て、この付近の山岳地帯はトルコ人の墓とも呼ばれているらしい。
この町は、それ程大きくはないが、4、5階建ての石造りの重厚な建物と、多くの貯水池がある。
この貯水池の存在こそ、長い間抵抗できた大きな理由でもあったようだ。
宿にチェックインした後、ガイドに案内されて観光に出かける。
目指すは、17世紀に造られたという、幅3m、長さ32m、深さ300mに達する峡谷に架けられた橋。
これは、石で造られていて幅は2mもないような小さな橋なのだが、よくこんな所に造ったものだなと感心する。
建造中には、多くの人命が犠牲になったのではないかとも思う。
橋の上で、記念撮影をする。
手摺も低く、何かの拍子ですぐ下に落ちてしまいそうで怖いので、なるべく真ん中に立つ。
T君は、手摺に腰かけちゃったりしてます。
怖くないんかい!?
僕は、高い所は好きなんです。
ただ、苦手なだけなんです‥‥。
僕には、勇敢な山岳部族には間違っても入ることはできなさそうです。
| sin | イエメン(2) | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |


ツアー2日目は、2時間ほど歩いて山の中腹にある村まで下ります。
その前に、少し朝のシャハラの町を歩きます。
その時、ガイドが一人200リヤル払えば、ここにある刑務所を見ることができるがと話を持ちかけてきました。
おもしろそうなので、見てみることに。
ガイドは、刑務所長みたいな人にお金を渡し、一見なんの変哲もない石でできた建物の中に僕たちを案内します。
そして、南京錠のかかったドアの前まで行き、その鍵を開けます。
扉を開けると中は真っ暗。
静かで人のいる気配は感じられません。
ガイドは、つかつかと中に入っていくと、部屋の奥の方に向かって起きろみたいなことを話しかけます。
すると暗闇の奥で人の動く気配がしました。
そして、その暗闇の奥から起き上がってきたのは、身の丈2m以上はあるかというなまさに怪物‥‥なわけはなく、普通のおっちゃん、お兄ちゃんたち。
服も縞々模様の囚人服を着ているわけでもなく、普通のイエメン人たちと同じものをきています。
眠そうに目をこすりながら出てきます。
ガイドは、こいつは人を3人ピストルで撃って殺して、ここに5年閉じ込められている、後3年したら下の町に連れられていって死刑にされんだよ、ハハハハハと笑顔で説明してくれます。
目の前にいる若者は、とてもそんなこと凶悪な事件を起こすような人には見えません。
人は見かけによらないものなんでしょうか。
それにしても、ここには銃などを持った警備員の姿も見えません。
さっきの所長みたいなおっちゃん一人いるだけです。
これで脱獄とかないのかな。
ガイドに写真を撮っていいかと尋ねると、おお撮れ撮れと言う。
囚人も嬉しそうに、一列に整列してくれる。
こいつら本当に囚人か?
ここ本当に刑務所なのか?
T君と二人、僕らだまされたのかなと話しつつ、刑務所を後にし山を下りたのでした。
はたして、真相は?
| sin | イエメン(2) | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |


サナアから乗合タクシーで1時間ほどに行った所にあるシバーム、コーカバンに行きます。
この2つの町は、同じ部族でありながら、違う場所に町を築いたという珍しい例。
高さ350mある岩山の麓にあるのがシバーム、その上にあるのがコーカバンです。
昔は、それぞれの役割が決まっておりお互い助け合って生きてきたのです。
シバームは、農業と商業の町。
その一方、コーカバンは、軍事を担当。
岩山の上から常に敵の接近を監視し、シバームが敵に襲われると助けに行くのです。
現在、これらの町の間には車も通れるアスファルトの道もありますが、昔ながらの山道もあります。
僕は、この道を歩いて、シバームからコーカバンまで上ってみます。
標高2500mあまりあるので空気も薄く、すぐに息がきれてなかなかしんどい。
休み、休み歩きます。
それでも1時間ほどでコーカバンに到着。
町自体はそれほどでもないですが、そこからの眺めは、シバームの街並み、そして、さらにその周りに広がる畑、そして、さらに遠くの山まで見渡すことができなかなか素晴らしい。
雨季には、ここも緑色の木々でいっぱいになるみたいですが、それもいつか見てみたい。
1時間ばかり崖近くに腰かけ、ぼーと景色を見てのんびりします。

シバームの宿は、イエメン式の部屋。
部屋にはベッドがあるのではなく、床に絨毯が敷いてありその上にマットレスを置き、そこで寝るというもの。
日本と同じように靴を脱いで入るので、部屋中でごろごろできる。
開放感があっていいね。
荷物とかをそこらじゅうに散らかし、ごろごろ〜ごろごろ〜。
いや〜幸せです。
| sin | イエメン(2) | 17:34 | comments(0) | trackbacks(0) |


シバームから西へ1時間半ほど車で走ったところにあるマウフィートという町に移動。
そこは、小高い山の上に作られた町。
それほど見るところはなにのですが、2泊して少しゆっくりすることに。
宿の部屋も少しよい部屋を。(と言っても、1000リヤルと1500リアルの違いですが。しかも、1500を1250まで値切って。)
部屋に荷物を置いた後、お腹が減ったので昼飯を食うために食堂を探します。
何か安くて美味しそうなものがないのかとうろうろしたのですが、宿のすぐ近くに挽肉と玉ねぎを炒めたようなものを売っている店を発見。
値段を訊くと150リヤル(約90円)と言います。
これに、パンや紅茶をつけて、250リヤルぐらいになるのかな。
こんなものだと思い、食べることにします。
実際食べてみるとこの料理は美味く、あっという間に食べてしまいます。
それを見ていた店の兄ちゃんは、もっと食べるかと訊いてきます。
いやもういらないよと断ったのですが、そう遠慮せず食べろよみたいな感じで更に皿に盛ってきます。
まぁ、美味いからいいかと思い、それも全部食べてしまいました。
そして、会計の時いくらになるのかと思い尋ねると、なんと150リヤルと言うじゃありませんか。
全て込みでこの値段だったのです。
肉を使った料理でこの値段はかなり安いです。
嬉しい誤算です。
店の兄ちゃんがサービスしてくれたのか。
それにしても、自分の思ったよりも高いということはあっても、このように安いということはなかなかありません。
人の親切なイエメンにおいても、エジプトやベトナムやインドといった国よりはかなりましなものの、やはり「ぼる」という行為は、存在します。
料理の値段を正しく言ったとしても、勝手に出されたサイドメニューのような物にお金を取られたりということも多くあります。
タイズに行った時に気に入ったチキン料理屋があって、そこには3日間通ったのですが、同じ物を食べたのに、料金は280リヤル、250リヤル、230リヤルと日ごとに安くなったということもあります。
乗合タクシーでも、たまにですが高い値段を言ってきたりもします。

ぼられればやはりむかつきますが、それで国を嫌いにならないようにしようとは思います。
そういうルールの社会を旅しているのだと、それを旅の一部として受け入れるしかありません。
売った方も、罪悪感などはほとんど感じていないと思います。
そもそも定価という概念自体もキリスト教の教えの中から出てきたものであり、その概念が社会に完全には定着していないイスラム社会においては買い手と売り手が同意すれば、それがその物の値段だということになるからです。
そんな社会は信じられないと思うかもしれませんが、日本だって全ての値段が決まっているわけではない。
今では、ほとんどの物が定価ではなく希望小売価格となっているし、実際、電化製品を買おうとしても、店ごとに値段が違うのが当たり前です。
高級寿司屋などの店では、明細もない不明朗な会計の店があるようですが、これには誰も文句も言わず払っているようです。(残念ながら僕は、回っている店専門ですが‥‥。)
極端な話、夕方のスーパーなどで行っている特売なども、昼に同じものを買ったお客からすればぼられたということになるかもしれません。
ちょっとこじつけの感もありますが、そんなことで僕はぼられても騙されたというより、勝負に負けたと思うようにしているのです。
日々、戦いの毎日であります。
それでも、ぼられたら腹が立ち、落ち込みますがねぇ‥‥。
| sin | イエメン(2) | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
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