たびタビ旅
旅日記。中南米、アジアなどの2年4ヶ月半の旅。

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インド国境の町バイワラに朝6時半頃に到着。
昨日、バスはガソリンを補給することができ、夜7時にカトマンズを出発しました。
そして、運良くストライキも終わり道路封鎖も解除されたため、遠回りしてポカラを経由するのではなく直接カトマンズからバイワラに向かうことができるようになりました。
そのためバス代も安くなりましたし、到着時間も5時間ほど早くなりました。
一日出発が遅れた甲斐があるってもんです。

バイワラで乗合ジープに乗り、3キロほど離れたスノウリボーダーへと向かいます。
この国境は地元の人は出入国手続きが必要なく自由に行き来できます。
そのためイミグレも商店の中にひっそりと紛れ込んでいて分かりにくい。
ネパール側の出国手続きを終え、歩いて国境を越えます。
次はインドの入国手続きです。
人に訊いてイミグレをなんとか見つけます。
そこで入国カードを記入してパスポートと共に提出します。
太った係員のおっちゃんは、それを見ながら新聞紙ほどのサイズもある台帳に名前などを書き写します。
そして、僕の誕生日の日付を見るとおっ!?という感じで顔を上げます。
「おお〜、今日は君の誕生日じゃないか。」
そう、今日3月1日は僕の誕生日なのです。
この旅で迎える二回目の誕生日になります。
昨年は、ブラジルで一人寂しく終日バスでの移動をしてました。
そして、今年こそは誰かにご飯やビールなどを奢ってもらっちゃたりして祝ってもらおうかと軽く目論んでいたのですが、昨年と同じく一人寂しくの移動となってしまったのです。
なので、誰かに祝ってもらうことはないなと諦めていたのですが…。
「誕生日にインド入国とはラッキーなやつだ。ハッピーバースデー!!」
ビールは無しですが、おっちゃん、ありがとう。

インドに入国して、今日の目的地であるバラーナス行きのバスを探します。
どこがバスターミナルだろうとうろうろしていると、インド人の若い男の子が近づいてきます。
そして、「バナーラスへ行くのか。それなら8時半に出るツーリストバスがあるぞ。8時間で着くエクスプレスだ。」と言ってきます。
それなら夕方4時半頃と明るい内に着きます。
悪くありません。
しかし、値段を訊くと450ルピー(約1200円)と言うじゃありませんか。
僕の持っているガイドブックに書いてある値段の3倍くらいします。
ガイドブックの情報は5年前以上のデータなので、物価の上昇、最近のガソリン価格の上昇によって値上がりした可能性もあります。
いや、それにしても高すぎる。
しかし、近くを見渡してもバナーラスまでのツーリストバスのチケットを扱っていそうな店はありません。
果たしてこれに乗らなければならないのか。
ローカルバスで行くなら直接バナーラスへ行くものはないようで、一度ゴーラクプルという町まで出てそこで乗り換えをしなくてはならないようなのです。
時間も10時間以上かかるようだ。
どうしようか。
しばらく迷っていて仕方がないかとお金を払いそうにもなりましたがぎりぎりのところで踏みとどまり、一度ローカルバスの方も値段等を含めて確認してみようとその店を離れます。
するとその若い兄ちゃんは慌てて僕についてきて、ゴーラクプルで乗り換えるバスチケットなら350ルピーでいいと言ってきます。
ツーリストバスなのに何故乗り換える必要があるのかとさらに怪しく思い、無視して歩き続けます。
しかし、それでもその兄ちゃんは僕に付きまとい続け、僕が目指していたローカルバスに先に乗り込んでしまいました。
そして、これがこれが350ルピーのバスチケットのバスだと言ってきます。
そりゃ、おかしいだろう。
どうみてもこれはローカルバスだし、なんでそれにそんな高い金額を払わなければならないのか。
じゃぁゴラクプールまではいくらだと訊くと、「250ルピー」と日本語で答えてきます。
なんでここからバナーラスまでの距離の3分の1くらいの場所にあるゴーラクプルまでがそんなにするのだ。
完全にこいつは僕を騙そうとしています。
ふとバスの中を見ると車掌みたいなおっちゃんがいたので、250ルピー払わないのならこのバスからすぐ降りろとごちゃごちゃうるさい兄ちゃんを無視して、ハウマッチ?と訊いてみます。
すると「エイティー」と言うじゃありませんか。
だから80ルピーを払いさっさとそのバスの乗り込みます。
兄ちゃんはぶつぶつと悪態をつきながら降りていきました。
いったいなんなんだあいつは。
同じバスにポーランド人の女の子が乗っていたので話をすると、その人はバナーラスまで直行のツーリストバスだと言われ450ルピーを払ったようなのです。
そして、結局乗せられたバスはこのローカルバスだったのです。
さっきの男は、ツーリストバスだと言って450ドルでチケットを売り、実際にはそれよりも安いローカルバスに乗せてしまう詐欺をやっていたようなのです。
あ〜いきなり疲れるようなやつに会ってしまいました。
でも、これがインドなんですよね。
インドに帰ってきたぞ〜。

バナーラスにバスが着いたのは日もとっくに沈み真っ暗になっている夜8時半頃。
昨晩7時にカトマンズを出発してから24時間以上移動していたことになります。
疲れました。
宿にチェックインしてシャワーを浴びベッドに倒れこむと、あっと言う間に深い眠りに落ちました。
そうして僕の誕生日は終ったのでした。
| sin | インド | 14:08 | comments(3) | trackbacks(1) |


バナーラスは変わっていませんでした。
6年前と一緒であります。
ガンガー(ガンジズ川)では火葬が行なわれ、その近くで大勢の人が沐浴をし、洗濯屋が洗濯石に衣類を叩きつけています。
決してきれいとは言えない川の水で洗濯して、果たしてきれいになるのかという疑問も湧くのですが、その同じ川の水で歯を磨く人もいるので驚きです。
もし僕なんかが同じことをすればあっという間に病気になるのは間違いないです。
インド人は体の作りが違うのか。
恐るべきインド人、恐るべきガンガーであります。
ガンガー沿いにある細い路地が網の目の様に広がる街には、犬、牛、猿が自由奔放に生きております。
路地には牛の糞がたくさん落ちており、油断すると踏んでしまいます。
その糞の中には人間のものと思われるようなのも紛れており、これまた恐ろしい。
猿は建物の上を自由自在に駆けめぐり、これまた油断すれば部屋の中にまで入って来て食べ物を盗ろうとします。
同じ宿に泊まっている人は、目覚まし時計を盗られ噛られ壊されてしまいました。
世界広しと言えども、このように人間と犬と牛と猿が一緒に生活している町なんてインドくらいのものではないでしょうか。
そんな6年前に見た光景が今もそのまま残っているのです。
どんどん変化のスピードが早くなっていく今の世の中、この頑なまでの変化のなさは尊くもあります。
すばらしい・・・。
| sin | インド | 14:23 | comments(1) | trackbacks(1) |


バナーラスでのんびりです。
ここはたいして観光する所はないのですが、ガンガーを眺め一日ぼーっと過ごしています。
一日の始まりは、朝日を見ることから始まります。
街はガンガーの西側にあるため、川の向こう側から昇ってくる太陽を見ることができます。
朝はいつも靄がかかっているため、太陽はオレンジ色をしています。
満月の様であります。
いつもはガートを歩くだけなのですが、今日は同じ宿に泊まっている大学生に誘われボートに乗ってみました。
ゆったりとした川の流れの中をゆくっりと進む小さな手漕ぎボートからの眺めは、いつもと違った角度からガートの光景を見ることができちょっと新鮮な感覚がして、またちょっとだけ優雅でもありました。

朝食を取った後、洗濯をします。
洗った物を屋上に干すと、あっという間に乾きます。
そう、ここはすごく暖かいのです。
いや暖かいというより、むしろ暑いと言って良いでしょう。
ここしばらくずっと寒い日々が続いていたので、すごく嬉しい。
半袖、サンダルで外出できるなんて、いつ以来でしょうか。
春を通りすぎて、夏がやって来ましたよ。

昼食は安食堂にターリーを食いに行きます。
ターリーとは、ご飯にカレー、豆のスープ、漬物等がついた定食のような物。
20ルピー(約55円)とすごく安いのですが、なんとご飯もカレーともおかわり自由!!
嬉しいのですが、ついつい腹十一分目くらい食ってしまいます。
もちろん、スプーンを使わずに手で食べます。
手で食べても誰からも怒られないって、すばらしい。

昼は暑いので宿に戻り、ベッドに横になり本を読んで過ごします。
しかし、天井でくるくる回るファンの微風に吹かれている内に、とろとろとした眠りに落ちてしまいます。
きもちいい・・・。
ふと目を覚ますと誰かが階段を上がってくる音が聞こえます。
ドミトリーに泊っているのですが、どうやら新しい宿泊者が来たようです。
新しく来た人は若い男の子で卒業旅行の大学生に見えます。
彼は部屋をきょろきょろと見渡して、ベッドで寝そべっている僕と同じようにだらっと横たわっている他の何人かの人を見ると、「今日から泊まりますのでよろしくお願いします。」とカチカチに緊張して挨拶してきます。
いったい彼から見て僕らは一体どのように見えたのでしょうか。
駄目人間・・・ですか?

夕方、涼しくなってきたので外に出ます。
チャイを飲みながらガートに腰掛け、ガンガーを眺めます。
しばらくすると5、6歳の男の子が近寄ってきます。
弟であろう赤ちゃんを抱いています。
バクシーシと言って、お金をねだってきます。
いつもは断るのですが、気が向いたので2ルピー(約5円)あげます。
感謝してくれるかなと思ったのですが、笑顔一つ見せずにもっとくれと鋭い眼差しで迫ってきます。
たくましいです。
それ以上はあげませんですけど。

宿で夕食を食った後は、特にすることもないのでベッドに横になり本を読みます。
気がつくと・・・。
寝てました。
あぁ、何故こんなにも眠れるのでしょうか。
聖なるガンガーが僕に眠くなーれ眠くなーれと、パワーを送っているとしか考えられません。

そして、バナーラスの一日は朝日を見ることから始まるのです。
・・・・・・。
| sin | インド | 16:51 | comments(2) | trackbacks(1) |


バナーラスでは、今日と明日、シヴァラトリーというお祭りが行われます。
ヒンドゥー教の祭りなのでインドの各地で行われているようですが、ここベナーレスが一番盛り上がるといいます。
それにあわせ旅行者もたくさん集まってきており、どの宿も満室になっていることが多いようです。
僕はこれにあわせここに来た訳ではなく全くの偶然だったのですが、こういう祭りを見れることはやはりいいことであります。
しかし、実際は思っていた程、街は盛り上がることはなくちょっと期待外れといった感も否めませんでした。
確かに太鼓などの音にあわせて、着飾った人たちが道路をパレードしたりしていましたがただそれだけのものです。
もっとみんな町中の人たちが熱狂的に踊り狂ったりするのかと思っていたのですが、意外と普通の人はたんたんといつもと変わりなく過ごしていました。
僕がちょっと期待しすぎたのでしょうか。

そんなことで早々に宿に戻り部屋で寛いでいると、同じ宿の人からタブラーのコンサートに行かないかと誘われました。
タブラーとは北インドの楽器で、二つの小さな太鼓を足の間に抱え込みそれぞれ左右の手で叩く物であります。
この祭りにあわせて、この街にそのタブラーの有名な演奏者が来るみたいなのです。
演奏者の名前はザキール・フセインという人で、僕はまったく知りませんでしたが、日本にも演奏しに来るようなタブラー界の第一人者であるようです。
そんな人が、無料でコンサートを開くというのです。
会場に入れるかなという心配はありましたが、せっかくなので行ってみることにします。
開演は8時ということなのですが、念のため早めに7時頃に会場に着きます。
しかし、会場には思ったより来ている人が少なく、意外と前の方に座れます。
それはそれでいいのですが、本当に人気のある人なのかなと少し怪しく思っていまします。
それでも8時には会場はほぼ満員の人で埋まりました。

8時を過ぎ4、5人のいろいろな楽器を持った人がステージの上に上がります。
この中にザキール・フセインがいるのか?と思いますが、観客の反応からしてどうやら違うようです。
前座といったところでしょうか。
演奏を始めます
演奏自体は可もなく不可もなくといった感じであり、観客も盛り上がることなく少し退屈したようにたんたんと聴いているといったふうであります。
そして、一時間あまりで彼らの演奏は終わり舞台を降りていきました。
その後、ステージの上に更に一段高い壇が設けられます。
いよいよか、期待も高まります。
そして、全身をすっぽり覆う白い服をまとった体格の良い、もじゃもじゃ頭のおっさんが舞台脇から登場しました。
観客から大声援が上がります。
彼こそがザキール・フセインその人であるようです。
演奏もしていないのに、おおぉなんかすげーと思わず声に出してしまいます。
体中からオーラが出まくってます。
一流というか、大物というか、その存在感は圧倒的であります。
演奏が待ちきれないです。
ザキール・フセインはステージの壇上に胡坐をかいて座り、観客をじらすよかのように笑みを浮かべながらゆっくりゆっくりとタブラーの位置を調整します。
ステージ上にいるのは彼と、なんという名か僕には分かりませんが弦楽器の一種を持った男の人の二人だけです。
そして、その弦楽器の音をバックにおもむろに演奏はスタートしました。

ものすごいです。
僕は今までタブラーの演奏なんて聴いたことはありませんが、そんな僕でもその音がすごいのは分かります。
いったいどうして小さな二つの太鼓だけでこんな複雑な音を奏でることができるのか。
ザキール・フセインは額から汗を滴らせ、長い髪を振り乱し演奏を続けます。
観客の間からも時おり、拍手と歓声が沸き起こります。
演奏は一時間以上も続きましたが、少しも退屈することはありませんでした。
本当にこのコンサートを見れて良かった。
どんなものにもかかわらず一流というものは、人を感動させる力を持っているものですね。

しかし、こんな音楽を聴くと、つくづく自分もなにか楽器ができたらなと思います。
実は、幼稚園から小学校の4年生くらいまでピアノを習っていたのですが、恥ずかしながら今は全く弾くことができないのです。
そして、恥ずかしながらついでに申しますと、そんなに長くピアノを習っていたにもかかわらず中学校の頃に音楽の成績で10段階で1の成績をとった男でもあります。
もちろん残念ながら、1は最低の数字であります。
そんな僕に弾けるような楽器があるのでしょうか。
もちろん一流にとは申しません。
二流でも、いや三流でもいいのですが‥‥。
| sin | インド | 18:36 | comments(2) | trackbacks(1) |


バナーラスでいつまでもだらだらしてはいかんとだらけきった心に渇を入れ、ここを発つことにします。
一回だらけきってしまうと、再出発するのはかなり億劫になってしまいます。
宿のみんなと仲良くなったり、行きつけの食堂ができたりとなにかと居心地が良くなってしまうんですよね。

これから夜7時半発の夜行列車に乗りコルカタへ向かいます。
宿から駅までは4、5キロとちょっと歩いていくには離れています。
そのため「リクシャ」を利用します。
リクシャとは自転車の後ろに座席がついている乗り物のことです。
安い値段で気軽に乗ることができるので、タクシーに乗るほどではないが歩くにはちょっと遠いという場所に行く時にはかなり重宝します。
ちなみにリクシャという言葉は、日本語の人力車からきているみたいです。
日本とインドは昔それ程交流があったようには思えないのですが、どのような過程を経て伝わったのか不思議であります。
このリクシャ、料金は安いのですが、ドライバーとの交渉になります。
もちろんドライバーは外国人と見るとかなりふっかけてきますので、相場を知らなければかなりの高いお金を払わされることになります。
ですからガイドブックを読んだり、宿の人に訊いたりして相場を知っておく必要があります。
今回の場合、駅までは15〜20ルピーぐらいだということなので、それを目安に交渉します。
50ルピーだとふざけたことを言うやつらもいますが、そんなのは無視して他のリクシャにあたります。
リクシャは道中に溢れており、完全な買い手市場であります。
何台か交渉すると20ルピーでいいという人を見つけたので乗ることにします。
もっと安くなるかもしれませんが、経済大国日本に住んでいる僕的には、まぁちょっとくらい高く払ってもいいかという気持ちもあります。
と言うか、あまり値切りすぎると、後で少し申し訳なく思ってしまうのです。
右足でアクセルひとつ踏むだけで進むタクシーなどとは違い、文字通り体を使い炎天下の中、背中を汗でびっしょりに濡らしながら自転車をこぐおっちゃんを見ていると、なんでさっきは5ルピー(約13円)安くしろなどといいあんなに熱くなって値下げ交渉をしたのかと思ってしまいます。
こいでいる人が、骨と皮しかないようなおじいちゃんなら尚更そう感じます。
ですから、目的地に着く頃には、5ルピーくらいをチップとして余計に払ってあげようかなとさえ思ってしまいます。
しかし、そういう時に限って、お金を支払う段になると、リクシャのおっちゃんは怖い顔をしてバクシーシと言いいもっとお金をよこせと要求してくるのです。
するとさっきは5ルピーぐらい余分に払ってもいいかと思っていた気持ちもあっという間に消えうせ、払うか〜こら〜!!なんて言ってしまう訳であります。
しかし、今日乗ったリクシャの兄ちゃんはすごくいいやつで、何も言わず20ルピーを受け取ったので、ついつい僕も5ルピーをチップとしてあげたのでした。
なんとも微妙な旅人心であります。
| sin | インド | 16:35 | comments(2) | trackbacks(1) |


出発予定時刻の7時半を一時間ほど送れてバナーラスを出発した列車は、これまた予定到着時刻を一時間ぐらい遅れた朝8時にコルカタに到着。
乗った列車のクラスは2等寝台車。
3人掛けの椅子が向かい合った6人のコンパートメントで、夜になるとその座席が3段ベッドに変わります。
2等なのでエアコンはないのですが、扇風機はあるしなんと言っても足を伸ばせて横になって寝れるというのはありがたい。
料金もけっして高くない。
今回も11時間ほど乗って、たった274ルピー(約700円)ほどであります。
もっと値段の安い座席の車両もありますが、そちらの乗り心地は快適とは言えません。
昔、一度寝台車のチケットが取れなくてその車両に乗ったことがあるのですが、人がいっぱいで一晩中座れなかったことがあるのです。
席に座れなくても床にでもしゃがめれば良かったのですが、しゃがみ込むスペースがないくらい人がぎゅうぎゅうに乗っており、一晩中立ったまま一睡もできず過ごしたという苦い経験をしたのです。
それ以来、長距離の夜行列車を使う時は、必ず寝台車を使うようにしているのです。

しかし、今回の移動は違う意味辛かった。
ゆっくりと横にはなれたのですが、蚊がめちゃくちゃ多かったのです。
そのため刺されまくり、その痒みのため一時間に一度目が覚めるという有様です。
他の人を見ると、みんなぐっすりと寝ているように思えてたので、僕だけが刺されているんじゃないかとイライラしました。
しかし、朝起きて同じコンパートメントにいた日本人の大学生の男の子と話をするとやっぱり蚊に刺されまくり眠れなかったという話を聞き、ちょっとほっとするのでした。
人が刺されようが刺されまいが僕の痒みには全く関係ない話なのですが、自分だけじゃないと知りほっとするのは何故なんでしょうかね。

コルカタは大都会です。
6年前に来た時は、カルカッタだったのですが、いつの間にか名前が変わっていました。
ずっと昔はカルカッタショックと言って、初めてここを訪れた旅人は、通りに並ぶ物乞いの数に驚かされるということがあったようですが、今では地下鉄も走る普通の大都会です。
6年前もそうだったのですが、ショックを受けるほど物乞いもいません。
この町にはサイクルリクシャも走っていません。
その代わりたくさんのタクシー、バスが走っています。
その排気ガスのため空気がとてつもなく汚れているのですが、それでも6年前に来たときよりさらに普通の国、町になったような気がします。
インドも変わるってことでしょうか。
| sin | インド | 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) |


気力を振り絞りバナーラスからコルカタにやってきたものの、ここでもやっぱりだらだらと過ごしています。
次の目的地バングラデシュの情報を集めたりしているものの、やはり大部分の時間を何をするでもなくだらだらと過ごしているのです。
言い訳になるかもしれませんが、コルカタは大都会であるにもかかわらず、と言うよりむしろ大都会であるからか、観光する所はあまりないのです。
インドを旅する人と話してもコルカタに行かないと言う人もけっこう多いのです。
だからしょうがないじゃないかと自分に言い聞かせ、だらだら過ごしているのです。

昼間、宿の2階にある部屋のベッドで寝転び本を読んでいたのですが、ネットでもしようかと部屋を出て階段を下りました。
すると下のロビーにいた日本人の男の子が僕を見て、「お?」と言います。
僕も「お?」と言いつつ彼の顔を見ます。
おお〜J君ではありませんか。
昨年7月南米のボリビアで会ったJ君であります。
それ以後全く連絡を取っていなかったので、こんなところで再会するとは驚きです。
いつも思いますが、世界は広く、旅人の世界は狭いもんです。
それからしばらく懐かしいねぇ〜どこを旅してたの〜なんて話をしていたのですが、その横をまた別の日本人の男の人が通りかかりました。
するとJ君とその男の人は目を合わせやはり「お?」と言うじゃありませんか。
そして、もしかして2年前タイにいませんでした?なんて話を始めます。
う〜ん、旅人の世界は狭すぎです。

夕食をみんなで近くのチベット料理の店で食べます。
ここはインドで唯一中国人が住む町であって、街中にはたくさんの中華料理の店があり、イスラム教徒が多く住むエリアがあってそこではインドなのにビーフカレーが食べることができたりと、他のインドの町と比べて食のバラエティーはあります。
カレーに疲れた腹には嬉しい町なのです。
夕食の後、J君に連れられてヨーグルトの美味しいという店へ行きます。
こういったB級グルメのどうでもいいような(ある意味一番重要である)情報は、日本人旅行者が一番よく知っています。
美味しいものを安く食べたいという探究心は素晴らしいものがあります。
それと比較して欧米人は意外と保守的でガイドブックに載っているような店にしかいかないことが多いです。
そして、ここで食べたヨーグルトは、これまたワンダフル、マーベラスでありました。
ねっとりとクリーミーな濃厚な味わいがたまりません。
これを100グラム、6ルピーで食べられるなんて幸せです。
観光する所があまりないコルカタではありますが、このヨーグルトが食えれば十分であります。
| sin | インド | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) |


目を覚ますと朝6時くらいでした。
外はもう明るいです。
コルカタを昨晩7時半に出発したバスは、北上しシリグリを目指します。
ここ最近あまり移動もせずのんびりしておりましたが、ようやく積極的に動くことを決意しました。
インド北東部を軽く回った後、バングラデシュに行きます。
シリグリは近くにネパール、バングラデシュ、ブータンの国境がある交通の拠点となる町であります。
今、乗っているバスはおんぼろではあるものの、座席の幅がゆったりとしており乗り心地は悪くありません。
道路の路面の状況はというと、多少凸凹しておりバスは揺れましたが、眠りを妨げるって程のものではありませんでした。
バスのチケットを購入した時にどれくらいで着くのかと訊いたら12時間ほどでかかると言っていたので、何事もなければ朝7時半にはシリグリに到着することになります。
夜行の乗り物で移動する時は、10〜12時間くらいというのが、短すぎず長すぎずちょうど良い時間です。
バスはエンジントラブルなどもなく順調に走り続けます。
インドですから少しは遅れるかもしれませんが、これなら遅くとも8時半ぐらいには着くのではないでしょうか。

‥‥が着きません。
定刻の7時半どころか、8時半になっても、9時半になっても、そして、10時半になっても着きません。
最初は少しくらい遅れるだろうとのんびりと構えていましたが、ここまでくるとだんだんイライラとしてきます。
なんでなんのトラブルもないのにこんなに遅れるのだ〜。
遅くなるなら遅くなると最初から言わんかい〜。
長時間乗るにしても最初から分かっていればそれなりの心の準備もできますが、いつ着くか分からずに乗っているというのは精神的にかなり辛い。
イライライライライライラしてきます。
しかし、他のインド人の乗客たちも車掌になにやら文句を言ったりしていて、かなりイライラしているのが分かります。
僕は文句を言いたくても言葉が話せないので、代わりに文句を言ってもらえるだけで少しは気分も軽くなるってもんです。
そして、ようやくバスがシリグリに着いた時には、1時半になっていました。
実に6時間もの遅れ。
結局なんで遅れたか最後まで分かりませんでした。

そして、疲れてはいましたが、シリグリに着くとバスを乗り換え、ブータン国境の町ジャイガオンに向かいます。
今度のバスは、乗り合いバスのような背もたれも倒れず座ると膝も前に席にくっついてしまうというような狭く小さなおんぼろバス。
しかし、ここからジャイガオンまではそれほどの距離はないので問題はないです。
距離から推測すると3時間くらいで着くのではないでしょうか。
バスは3時前に出発します。
このバスは走っては止まりを繰り返し、その都度客の乗り降りが行われます。
時には15分ほど停車していたりします。
そして、3時間経った6時になっても着きません。
まただんだんイライラしてきます。
別に誰からも3時間で着くと言われた訳でもなく、自分で勝手に思い込んでいただけなので誰にも文句を言えた義理ではないのですが、それでもイライラするもんはするのです。
日も沈み、あたりも暗くなってきます。
いつ着くんだ〜。
おまけにものすごい雨がザーザーと降ってきます。
あ〜あ、泣きっ面に蜂とはこのことか。
そして、バスは4時間経った7時に真っ暗なジャイガオンに着いたのでした。
体力的にはもちろんのこと、精神的にかなり疲れた一日でありました。
| sin | インド | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |


ブータン。
そこはインド北東部と国境を接するヒマラヤ山脈南東部の小さな王国。
20世紀後半まで鎖国に近い政策をとっていたこともあり、自給自足に基盤を置いた伝統的な生活文化が残っているチベット仏教国であります。
そんなことを聞くだけでもとても興味がそそられる国なのですが、そこを旅する人はあまりいません。
何故ならすごくお金が必要とされるのです。
物価は高くないのですが、旅行するには必ず旅行会社を通して申し込まなくてはならなく、その費用が一日200ドルもかかるといいます。
ですから近くに来たからちょっと行ってみようかと気軽に行けるものではなく、バックパッカーにとってはとても敷居の高い国となってしまっているのです。

しかし、そんなブータンに簡単に入れてしまう方法があるのです。
今いるインド側ジャイガオン、ブータン側フンツァーリンという町の国境では、インド人、ブータン人は自由に国境を行き来することができるのです。
昔はブータンはインドの一部だったこともあり、現在もその影響力は強いみたいです。
そういったことも関係しているのか、貨幣もインドルピーと等価であり、ジャイガオンの町でも普通にブータンの紙幣が流通しています。
ジャイガオンの町で買い物をしてお釣りをもらったときブータンの紙幣が紛れ込んでいたので、最初騙されているのかと思って疑ってしまいました。
そして、もちろんここの国境は外国人の通行は認められていないのですが、ブータン人に似ている日本人は気づかれず入れてしまうと言うのです。
そういった訳で国境の町だけの観光となりますが、ブータンの雰囲気を味わえるチャンスがあると聞きここまでやってきた次第であります。

朝8時過ぎ、宿を出てすぐ近くにある国境に向かいます。
たまに外国人であるということがばれて追い返されてしまうことがあるようなので、ブータン人らしく?こざっぱりした格好をします。
長くのびきった髪も目立たぬよう小さく頭の後ろでまとめます。
荷物を持っていると呼び止められる確立が高くなるというので、荷物は全て宿に置いていきます。
国境は町のメインロードのつきあたった場所にあり、大きなお寺の門のようなものが立っています。
その門の下には歩行者用と自動車用の道があります。
たくさんの人、車が行き交っています。
また警察官のユニフォームのような服を着た女の係員が数人立っています。
どうやら彼女らが国境を通る人をチェックしているようです。
しかし、なにか世間話のようなものをしていて、それほど厳しく通行人をチェックしているようには見えません。
よし、これなら大丈夫かもしれません。
気合を入れ直し、国境へ向けて歩き始めます。
いよいよ密入国の開始です。
と言っても、ただ歩くだけですが。
しかし、数歩歩いて立ち止まります。
ちょっと待て、メガネも外したほうがいいかな。
こっちはあまりメガネをかけている人を見ないもんな。
メガネを外しポケットに入れ、再度歩きだします。
チャララ〜チャララ〜と頭の中で「ミッションイッポッシブル」のテーマ曲が流れてくる‥‥余裕などありません。
ドキドキドキドキ。
ばれませんように、ばれませんように。
国境を越える人ごみの中に紛れ込みます。
さりげなく、さりげなく、と頭の中で呟きます。
しかし、顔がひきつり確実に自然でない自分がいるのが分かります。
いよいよ係員が数メートル先に見えてきました。
けっして目を合わさないように真っ直ぐ前を見つめ歩き続けます。
そして、通り過ぎようとした瞬間、係員が突然僕の前に立ちふさがり行く手を遮る‥‥。
てなことはなく、そのまま歩き続けたのでした。
ブータンへ。
チャララ〜チャララ〜!!
今度こそ頭の中でテーマ曲が鳴り響きます。
やった〜ブータンにやってきたぞ。
入国成功だ!!
ほっとしましたが、本日のミッションがこれで全て終了した訳ではありません。
第二のミッション、「ブータンから日本に手紙を出そう〜」です。

町をぶらぶら見ながら郵便局を探します。
ブータンの町に入ると、建物は中国っぽいというか東洋的な雰囲気に変わり、そして、そこには日本人に似たモンゴル系の人々がいます。
民族衣装を着た人もたくさんいます。
男の人は日本のゆかたのような服を着ています。
おおっぴらにお酒を飲めないインド人が飲みにくるのか、ビールやらウイスキーを売っている店や、飲み屋がたくさん並んでいます。
街中にはチベット仏教の寺院もあり、人々がマニ車を回しお祈りをしています。
国境の町のためインド人もたくさんいますが、確かにブータンであります。
しばらくして郵便局を見つけました。
またちょっとドキドキして、中に入ります。
もしかして何故外国人がこんなところにいるのだと咎められるかもしれないと思ったからです。
カウンターにいた若い兄ちゃんにおずおずと「切手が欲しいのですが‥」と尋ねます。
するとその兄ちゃんは僕の心配をよそに笑顔で、コレクションのため?と訊いて来ます。
まぁそのような感じでと曖昧に答えると、それならこっちへ来てと誘われ、横にある別の部屋へと連れていかれました。
その部屋の中には、まさしく日に焼けた日本のおっちゃん!というような人が座っていました。
どうやら郵便局長のようです。
切手が欲しいと言うと、流暢な英語と笑顔でいろいろ話しかけてきます。
日本から来たと言うと、日本人とブータン人は顔が似ているもんなと喜んでくれます。
おっちゃんはいろいろな記念切手を見せてくれます。
何枚かその中から選び、ハガキも持っていなかったので売っているかと訊くと、棚の中から何枚か出してくれます。
よし、これでハガキをだせる、と思ったら、ボールペンを持ってないことに気づきました。
おっちゃんに、ボールペン貸して欲しいと頼むと、快く貸してくれました。
ブータン人、親切だ〜。
そして、部屋にある机でハガキを書かせてもらい、切手を貼り、ポストに投函したのでした。
これにて本日のミッション終了!!

チャララ〜チャララ〜チャララ〜。


| sin | インド | 16:28 | comments(2) | trackbacks(1) |


昨日ブータンへ行った後、バスと列車を乗り継ぎアッサムの州都グワハティにやってきました。
夜行列車は予定通りきっちり朝4時半に到着しました。
遅れて欲しい時にかぎってきっちり着くものです。
外も暗いので駅構内でしばらく時間を潰します。
7時を過ぎたあたりで駅を出てホテルを探しに行きます。
駅前には安宿がたくさん並んでいます。
しかし、ないのです。
空いている部屋がないのです。
端からしらみつぶしにホテルを10軒以上あたりましたが、全て断られます。
それも僕を一目見るなり嫌そうな顔をして断ってくるのです。
なぜなんだ。
朝早すぎるから部屋が空いていないのか。
それならもっと後で来てくれとでも言いそうなものだが。
それともこの町のホテルは外国人を泊めない所がたくさんあるという話を聞いたことがあったのだが、それが本当だったのか。
かりにも州都であるこんな大きな町でそんなことが本当にあるのか。
そうであるならここにある安ホテルに全て断られたってことは、1000ルピー(約2600円)以上もするホテルに泊まらなければならないのか。
インドでその値段はきつい。
もうこの町に泊まらず次の町に移動してしまおうか。
そういう考えも頭によぎったのだが、もうちょっとだけ探してみようと、重いバックパックを背負い少し駅から離れたホテルに向かいます。
そして、ちょっと高そうなホテルがあったので駄目元でとりあえず部屋の値段だけ訊いてみることにします。
すると300ルピー(約780円)と言うじゃありませんか。
そして、部屋もあると言います。
いつもは150ルピー前後を目安に部屋を探しているので2倍くらいの値段はしますが、頭の中には1000ルピーという数字が渦巻いていたので安く感じてしまいます。
即行でチェックインします。
ホテルの部屋に入り荷物を降ろした瞬間というのが旅をしていて一番ほっとする瞬間でもあります。
今日はいつもより余計そう感じたのでした。
ふ〜。
| sin | インド | 18:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
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