たびタビ旅
旅日記。中南米、アジアなどの2年4ヶ月半の旅。

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テヘランはかなり寒いのですが、これは例年に比べてもかなり寒いようなのです。
ここ2、30年で今年が一番寒いというイラン人もいるくらいです。
4、5日前に降った大雪ではなんと空港が閉鎖されてしまったらしいのです。
そのためホテルで会った日本人の男の人は予定されていた飛行機に乗ることができなかったらしい。
この人、サラリーマンで、9日間ほどの休みをとりイランに旅行しにきたらしいのだが、その日本への帰国便に乗れなかったため、その休みの期間を終わってもなおここテヘランにいるのです。
キャンセルとなった2日後の便も満席だと言われ乗ることができなかった彼は、「これで明日の早朝に乗る予定の便が出発しなかったら、かなりやばいことになるのです‥‥」とちらちらと雪の舞う外を眺め力なく笑うのでした。
いや〜日本社会で生きる上においてこれほど恐ろしいことはないんじゃないでしょうか。
他人ごとながら笑えない話であります。

そんな彼と別れ、テヘランの街を歩いてみます。
話には聞いていましたが、思いのほかの都会ぶりには少し驚かされます。
高層ビルはないものの、たくさんのビルが立ち並び、その中には多くの店が軒を並べ、その前の通りにはこれまたたくさんの車が走っています。
また、人々の服装もかなり西洋的な装いです。
イランは、宗教上の最高指導者が立法、行政、司法を超える監督権をもつ体制のイスラム共和国であり、イスラム教が生活に密着しており服装にもさまざまな規定があります。
女性は必ず頭にスカーフを被らないといけないとかが一例であります。
しかし実際に街で見かける女性の中には、スカーフをしているものの髪の毛の生え際からするのではなく頭頂部あたりまでずらして被り、なるべく髪の毛を見せようとする女性がたくさんいます。
日本の女子高生が校則で決められた服装の中で、スカートの丈を短くしたりなどして少しでもお洒落しようとするのと一緒のようなものでしょうか。
若い男にいたっては、ジーンズにスニーカーを履き、髪の毛をつんと立てて、まるでアメリカや日本のようないでたちです。
法律で決まっていないにもかかわらず、女性は黒い衣装を頭から被り目だけを出すイエメンとはえらい違いであります。
そんな服装を許す風潮があるのが今のイランであるようです。

夜ホテルに戻ると、ロビーでまたサラリーマンの人と会いました。
しばらく話をした後、彼はタクシーに乗ってますます勢いを増して降りつける雪の中、空港に向かったのでした。
「また空港が閉鎖されたら戻ってきますよ。ははははは。」と言い残し‥‥。
その晩、彼はホテルには戻ってきませんでした。
良かった、良かった。
| sin | イラン | 18:11 | comments(0) | trackbacks(0) |


イランの首都テヘランはただの町であまり見所はないのですが、一ヶ所だけ前々から見たいなと思っていた場所がありました。
それは、「宝石博物館」。
1979年のイスラム革命前に王家が所有していた宝石コレクションを展示してあります。
扱っているものが高価なので、場所も銀行の地下金庫という万全なセキュリティーです。
もちろん入口ではボディーチェックされるし、なにも持ち込むことはできません。
ここには2万6000個の宝石がちりばめられている「孔雀の王座」、5万1366個の宝石と3、6kgの純金で作られた「宝石の地球儀」、3000個以上のダイヤが埋め込まれた冠「パフラヴィークラウン」、そして「光の海」という名で知られる182カラットもの世界最大のピンクダイヤモンドなどがあります。
いや〜ぴかぴかぎらぎら賑やかなもんです。
いったいこれらはどれくらいの値段がするものなのか。
これひとつあればこれから楽な暮らしができるだろうななんて思っちゃいます。
お金のことばかりが頭に浮かぶのは、貧乏人の性なのでしょうか。
ちなみにこの博物館の入場料は30000リアル(約360円)。
イランでの物価から考えれば少し高いような気もしますが、展示してあるものの金額を考えれば安いものなんでしょうかね。

博物館を出た後、夕食を食べにサンドイッチ屋に入ります。
するとそこのショーケースに、握りこぶしくらいの大きさの薄い黄色の塊があるではありませんか。
う〜ん、しわの入り具合からいっても、これはまさしく脳ミソであります。
羊のものでしょうか。
僕はこんな食べ物、大好きです。
さっそく注文します。
味は意外に薄味で淡白ですが、ねっとりしていてなんとも美味い。
いや〜こんなものを気軽に食べることができるなんて嬉しいかぎりです。
旅の醍醐味ですね。
そして、これで僕の頭も良くなって、どんどんお金を稼げるようになり宝石などもどんどん買えるようになればいいのですが。
無理ですよね〜。
| sin | イラン | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |


エスファハーン行きの夜行バスに乗るために地下鉄に乗りバスターミナルに向かいます。
夜11時頃に最寄り駅に着きます。
そこからバスターミナルまで歩いて15分ぐらいで着くということでした。
しかし、歩き始めて15分歩いてもバスターミナルらしきものは見当たりません。
道を間違っているのかと思いつつも、もうちょっとだけと思い歩き続けます。
後ちょっと後ちょっと歩き続けると、いつの間にか30分ほど歩いています。
これはいくらなんでもおかしいと思い、近くにいた若い男の子たちに尋ねてみます。
彼らは困ったような顔をしてしばらく話し合った後、僕が歩いて来た方角を指差します。
どうやら僕は逆方向に歩いてきたみたいです。
男の子らはなにやら話し合っていましたが、しばらくするとその中の一人が着いて来いっと道案内をしてくれます。
10分ほど歩いて大通りまで戻り、そこからタクシーに乗れと言います。
できればタクシーを使わずに歩いて行きたかったのですが、せっかく彼に連れてきてもらったのに断るのも悪いと思い乗ることにしました。
男の子はタクシーを止めるとドライバーに行き先を告げてくれます。
料金は500トマンと言います。
(イランの通貨単位はリアルなのですが、数字の桁数が多いためか(1USドル≒9300リアル)桁を一つ削ってトマンという単位を使うことの方が多いのです。ですからこの場合の500トマンというのは5000リアルということなのです。慣れるまではややこしい。)
500トマン(約60円)なら安いもんです。
男の子に礼を言い、タクシーに乗り込みます。

やはり僕は逆方向に歩いてきたみたいで、タクシーは僕の歩いてきた道を戻ります。
余分な金はかかったがこれでどうにかバスターミナルに着けるとほっとします。
そして、タクシー代5000リアルを前もって財布から抜き出しすぐ払えるようにします。
するとその札をみたタクシーの運転手のおっちゃんは、5000じゃない、50000だと言います。
は?
何言ってんだ?
一瞬5000は安すぎてそう思ったのは僕の勘違いじゃないかと考えたのですが、歩ける距離で50000リアルというのもあまりにも高すぎる。
5000だ!いや50000だ!!
言い争いになります。
おっちゃんは、車を路肩に止めます。
ちょうど地下鉄の駅を過ぎた辺りでした。
5000だ!いや50000だ!!と更に言い争いが続きます。
いい加減頭にきたので僕はタクシーを降ります。
後部座席のドアを開け置いてあったバックパックを下ろそうと掴みます。
歩道もない高速道路のような道で僕が降りるとは思わなかったのかおっちゃんは焦り、後ろに身を捩じらせ僕のバックパックを掴み阻止しよとします。
しばらくこう着状態が続きますが不安定な状態のおっちゃんは力が入りずらかったようで、なんとかタクシーからバックパックを引きずり出すことに成功します。
そのまま背負い、前に向かって歩きだします。
おっちゃんは金を払えみたいなことを言ってくるが、そんなことは無視する。
なんで目的地にも着いてないのに払わないかんのだ。
するとおっちゃんはタクシーを降りて叫びながら僕を追ってくる。
それを無視して歩き続けるが、おっちゃんは僕に追いつくと顔面に平手打ちを食らわせてくる。
なにするんじゃ〜こら〜。
僕もかなり興奮しますが、無視して歩き続けます。
するとおっちゃんは諦めたのか、タクシーに戻って行きました。
そして、エンジンをふかし大きな音をたてライトをアップさせながら僕の方に向かって車を走らせて威嚇したかと思うと、僕の横を通り過ぎそのまま去って行ったのでした。

ああ〜ムカつく〜。
なんじゃ〜あのタクシードライバー〜!
そして、バスターミナルはいったいどこなんじゃ〜!!
| sin | イラン | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0) |


昨晩はいろんなことがありましたが、なんとかエスファハーンにやってまいりました。
夜12時半出発のバスに乗り、エスファハーンのバスターミナルに着いたのが朝の6時半頃でした。
しばらくバスターミナルで時間をつぶした後、8時頃に市バスに乗り市中心部にあるホテルへ向かいます。
そして、宿へチェックインして、十分な睡眠をとるには短いバス移動で疲れてはいたのですが、さっそく観光に行くことにします。

ここは16世紀にサファヴィー朝の首都となり、エマーム広場を中心に「エスファハーンは世界の半分」と呼ばれるほど栄えた町なのです。
現在でもその当時の栄華をしのばせる建物がたくさん残っているのです。
その中でもエマーム広場の南に位置するマスジェデ・エマームと呼ばれる寺院は、特に素晴らしいものです。
青色を基調とした細かい模様が描かれておりとても美しい。
またエイヴァーンと呼ばれる門の天井にある鍾乳石飾りの装飾は、複雑でかつ美しく、これぞイランといった感じであります。
今まで見てきたモスクの中で一番綺麗じゃないかと思います。
エスファハーンにはその他にもモスクが数多くあり、どれもが美しいです。
しかも、どこも入場料が5000リアル(約60円)ほどと安いのも嬉しい。
少し前まで外国人料金というものがあっって30000リアルくらいしたらしいのだが、ここ最近にそれが廃止されたのです。
世界中の国で外国人料金という理不尽なシステムが廃止されるどころかますますその料金が高くなっていく風潮がある現在において、物価を考慮すると外国人料金があってもおかしくないイランであえてそれを廃止するなんて、イラン政府、あんたは偉い!!

寒い中歩き回ると、ちょっと暖かい所で休憩をしたくなるってもんです。
そんな時に便利なのが、チャイハーネと呼ばれる喫茶店です。
ここではお茶を飲める他、水タバコを吸うこともできます。
チャイハーネでのんびりと寛ぐ、それがまたイランの旅の楽しみ方だった‥‥のです。
だった‥‥と過去形で書いているのは、残念ながら現在ではほとんどのチャイハーネが閉まってしまったのです。
と言うのも、昨年の11月くらいに政府が水タバコは体に悪いとの理由でチャイハーネでの水タバコを全面的に禁止してしまったのであります。
そのためほとんどのチャイハーネが閉鎖を余儀なくされたのです。
なんてことを決めるのだ。
いきなりそんなことをするなんて、イラン政府、これは駄目でしょう〜!!
| sin | イラン | 18:49 | comments(4) | trackbacks(1) |


エスファハーン二日目は、町中央を西から東へと流れるザーヤンデ川の南の地域を歩いてみます。
この川には1600年代に建てられた石造りの古い橋が何本か残っています。
どの橋にも雰囲気の良いチャイハーネがあったらしいのですが、やはりここもことごとく閉鎖されています。
重ね重ね残念であります。
また川の南にはアルメニア人街があり、多くのアルメニア教会もあります。
その中の一番有名なヴァーング教会に行きますが、昼休みのため閉まっており開館まで一時間ほど待たなくてはなりません。
近くにある喫茶店(チャイハーネではなく日本の喫茶店みたいな所。何故かマイケルジャクソンの歌が流れてました。)に入り、一杯20000リアル(約250円)もする高いココアを飲み時間をつぶすことにします。
そして、3時くらいに再び教会に行きますが、なんと入場料が30000リアルもします。
これは、高い。
アルメニア教会はアルメニアでたくさん見たのでここも似たようなもんだろうと自分を納得させて、入場しないことに決定です。

次なる目的地は、墓地です。
お墓といっても、昔の王様のものといったような大それたものではありません。
イランイラク戦争で亡くなった人のお墓があるのです。
たくさん並ぶお墓には、それぞれポートレートが掲げられています。
その写真を見ると、若い人の顔ばかりが目立ちます。
戦争は老人が始め、若者がその犠牲になる‥‥みたいな言葉を聞いたことがありますが、まさしくその通りだと感じました。
そして、この戦争が行われたのは1980〜1988年とほんの少し前のことなんです。
日本でいう戦前とははるか昔のことですが、ここでは戦後は始まったばかりなのです。
またここでは戦争は過去のものではなく、すぐ身近に感じられるものでもあります。
アメリカ政府に北朝鮮、イラクと並び「悪の枢軸」として名指しされ、いつ戦争が始まってもおかしくない状況にあります。
戦争が始まればまた多くの若者が犠牲になるのでしょう。
イラン政府はアメリカにとって「悪」かもしれませんが、国民は「悪」どころか親切なまったく普通の人であります。
そんな人たちが戦争によって苦しむ、そんな状況にはなって欲しくないものです。
まぁ、たまに、こいつ殺したろっかと思うような調子に乗ったムカつく若者がいないことはないのですがね。
| sin | イラン | 23:46 | comments(2) | trackbacks(0) |


エスファハーンから更に南へバスで6時間ほど走った場所にある町シラーズ。
念願の暖かい場所です。
もちろん暑いわけではないのですが、それでもフリースだけで過ごせるというのはありがたいもんです。
ここは近郊にある遺跡、ペルセポリス観光の拠点となる町として多くの観光客を集めています。
僕もそれを目的に昨日やってきたのですが、なんとペルセポリスは昨日、今日とお休みなのです。
シラーズにある店もほとんど閉まっています。
それは今日がアーシューラーという年間で最大の宗教行事のお祭りだからなのです。
これは第三代エマーム、ホセインの殉教を哀悼して行われるイスラム教シーア派の儀式です。
西暦630年、ホセインはイラクの砂漠で敵の大軍に囲まれ、水を断たれた厳しい戦いの後、殉教したのです。
その死を哀悼して自分の胸を手で打つスィーネ・ザニー、柄のついた鎖の束で背を打つサンジール・ザニーをしながら、集団で街を練り歩くのです。
この行進は男の人だけで行われるのですが、全員が黒い服を着て鬼気迫る表情で歩いている様は、なかなか迫力があります。
中には嫌々やっているような人もいないことはないですが。
女性は参加していませんが、ほとんどの人が黒いチャードルを身にまとい、沿道で行進を見ています。
ペルセポリスを見るのが遅れてしまいましたが、こんなものを見れるならいいもんです。

祭りを見ながら細い路地をあてもなくぶらぶら歩いていると、イラン人のおっちゃんに英語で声をかけられました。
どっから来たの?などの簡単な質問をされた後、家に来ないかと誘われました。
悪い人ではなさそうで、一度イランの一般の家も見てみたいと思っていたので、行ってみることにします。
家は中庭のあるなかなか大きい家でしたが、かなり古く所々ガタがきています。
おっちゃん、家は100年ほど前に建てられたのだが、修理したくてもお金がないと言います。
このおっちゃん、革命前はアメリカで働いていたそうです。
そのためなのか考え方もかなりリベラルで、現在のイラン政府に対してもあまり良い感情を持っていないようです。
また、今行われている祭りに対しても、自分で自分の体を叩きその行為に自己陶酔してあんなものドラッグみたいなもんだと否定的でした。
家の屋上に座りそんな話をぽつりぽつりと話し、ふ〜っとため息をつくのでした。
一度自由を味わってしまうと、住むにはつらい国なのでしょうか。

昼飯を食っていけというので、ご馳走になります。
家には家族の他、親戚もたくさん集まっています。
庭にござを敷いて、その上に座って食べます。
そこでは男だけで食べ、女性は別に家の中で食べているのですが、まったく姿を見せないということではありません。
外国人が珍しいのか、興味深げに顔を出し、僕に手を振ってくれたりもします。
家にお邪魔しても、全く顔も見せないイエメンとはえらい違いです。
イランの女の人は、イエメンと比べてかなりフレンドリーと言っていいでしょう。
イエメンでは話すことも写真を撮ることもできませんでしたが、ここでは普通に話すこともできますし、写真にも笑顔で応えてくれることもあります。
やっぱり女性と触れ合えるってのはいいもんです。
ほんとこの問題がなければイスラムの国の旅ももっと楽しくなるんですけどね。
| sin | イラン | 20:06 | comments(4) | trackbacks(4) |


アーシューラーが終わり、閉まっていた店も開き町に活気が戻りました。
こんなに店があったのかと驚くくらいです。
昨日までは夕食を食べるレストランを探すのも苦労して歩き回って見つけたもんですが、今日はたくさんのレストランが営業を始めています。
そして、お待ちかねのペルセポリスもオープンです。
早速、バスとタクシーを乗り継ぎ向かいます。
ペルセポリスはイラン最大の見所の一つと言っていいでしょう。
ヨルダンのぺトラ、シリアのパルミラと共に、「中東の3P」とも呼ばれているくらいです。
ペルセポリスは、紀元前500年頃に建てられたアクメネス朝の都の遺跡です。
紀元前330年にアレクサンダー大王に滅ぼされてしまいましたが、高さ20mの36本もの石柱により支えられたレバノン杉で作られた屋根を持つ宮殿があったりと、当時はかなり栄えた都であったらしいのです。
しかし、そんな都の遺跡であるにもかかわらず、旅人の間での評判はすこぶる悪いのです。
がっかりした、行く価値無し、などの辛らつな言葉をたくさん聞かされました。
そんなことであまり期待せずに行ったのですが、実際行ってみるとこれがまた素晴らしくいったいみんなは何を見ているんだ!ってことはなく、やはり大したことはないのです。
遺跡の規模はそれほど大きくないし、当時の栄華を偲ばせる建物がほとんど残っていないのです。
36本あった石柱も、わずか12本残すだけです。
2500年もの昔に建てられたことを考えると、それは致し方ないことなのかもしれませんが、やはりマチュピチュやアンコールワットを見た時のようなウォーなんだこりゃーすげー!!といったようなインパクトに欠けることは否定できません。
遺跡の歴史的価値と観光客が下す評価は残念ながら一致しないことが多いのでしょう。
僕の人間的価値と女性からの僕の評価が一致しないと同じようにね。

はい?
| sin | イラン | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |


ヤズドに夜行バスで移動してきました。
本当はもっと早く昨日には来たかったのですが、アーシューラーのためバスのチケットがなかなか手に入らなかったのです。
こういうイベントに重なると交通機関が混雑するので不便であります。
そして、シラーズを夜8時に出発し、到着したのが夜3時。
そりゃ〜いくらなんでも早すぎるってもんでしょう。
寝ているところを起こされ慌てて降りたので、バスの中に帽子を置き忘れてしまいました。
キューバで買ったお気に入りの帽子だっただけにくやしいです。
そして、ここはまた寒いです。
北に来たから仕方がないとは言え、真っ暗で、寒くて、しかも帽子を忘れてしまうことが重なれば、気が滅入ってくるもんです。
とりあえず日が昇るまでバスターミナルで過ごすことにします。

イランは気温が低いものの、アルメニアなどに比べればずいぶんと過ごしやすいです。
アルメニアでは寒い中外を歩き回って体を冷やして宿に戻ってきても、部屋の中もやっぱり寒いのです。
暖房設備がなかったり、あってもすごく小さな電熱器だったりするので、すごく寒いが普通の寒いになるぐらいです。
そんな部屋に一人でいるとため息の一つくらいつきたくもなります。
しかし、イランではガスストーブががんがんと焚かれすごく暖かく、シャワーも熱いお湯がこれでもかってくらい出ます。
ですからここのバスターミナルもやはり暖かく居心地は良いのです。
一般の人もガスストーブを贅沢につけっぱなしにしているところを見かけます。
光熱費がすごいことになるんじゃないかと僕の方が心配してしまいますが、なんのことはないガス代がすごく安いのです。
そうイランは世界でも有数の産油国なのですね。
一般家庭でどれくらいガス代を払うのかと尋ねたら、よく使う冬場で一ヶ月2〜5ドルほどらしいのです。
そりゃ、みんな気にせず使うってもんです。
そして、ガス代も安けりゃ、ガソリン代も安いです。
なんと1リットル10円くらいです。
しかし、これくらいでは驚いてはいけません。
軽油にいたっては、100リットル10円らしいのです。
ほんとかよとも思いますが、それならバス代の安さも納得です。
設備の良いバスに乗ったとしても6時間くらい乗って、料金は500円くらい。
そして、これでも驚いてはならないのです。
町中を走る市バスにいたってはわずか3円ほどという料金。
こりゃもう無料と言ってもいいですよね。
現在世界中の国が原油高で苦しんでいるというのに、さすが産油国と言いたくなります。
一昔前の日本なら安全と水はただと言ったものですが、さしずめイランではガソリンと水はただといったところでしょうか。
もっともこれだけ安いのにはやはり事情があり、イラン政府がかなり補助も出しているみたいなのですが。
簡単には値上げをすることができない難しい問題があるようです。
まぁ、僕にとっては部屋が暖かく、シャワーから熱いお湯が出て、バス代が安ければなんの問題もないのですが。
| sin | イラン | 17:21 | comments(0) | trackbacks(0) |


ヤズドには数少ないものの現在でもゾロアスター教の信徒が住んでいます。
そのためいくつものゾロアスター教寺院や「沈黙の塔」と呼ばれる鳥葬の場として使用されていた岩山の上に立つ塔があります。
残念ながら?鳥葬は1930年代に禁止され現在では行われていないのですが、荒野の中にたたずむその塔には人もほとんどおらずその寂れた感じがなんとも良かったです。
寺院の方は「イランの3大がっかり」のひとつに数えられるだけあって、その名に恥じないしょうもないものでしたが。

今晩は夜行バスに乗り、次なる目的地マシュハドへ向かいます。
バスターミナルはホテルから少し離れた場所にあるのでタクシーで行こうと思いますが、何台ものタクシーと料金を交渉してもうまくまとまりません。
来る時は10000リアルでやって来たので、その金額で行こうと思うのですが、みんな首を縦に振りません。
夕方で道が混んでいるからなのでしょうか。
さてどうしようかと思っているとちょうど横いバスが止まったので、運転手にバスターミナルに行くかと尋ねました。
運転手は行かないと答えますが、でも乗れって言います。
よく分かりませんが、乗ることにします。
すると5分くらい走ったところにある別のバス停まで連れて行ってくれて、ここでバスターミナル行きのバスに乗れるからと教えてくれます。
しかもバス料金もいらないと言います。
そして、そこでバスを待っていると大学生の男の子が話しかけてくれました。
バスターミナルに行くのだという話をすると、彼は違う行き先のバスに乗るにもかかわらず僕と一緒にバスを待っててくれ、そのバスが来ると運転手に僕をバスターミナルで降ろしてくれるように頼みバス代まで払ってくれるのでした。
イラン人、本当に親切な人たちです。

イランではこのような親切が特別な出来事ではないのです。
道に迷っていると丁寧に教えてくれるし、自動車に乗せて連れて行ってくれたりもします。
そんなイランですが、旅人の間の評価はまっぷたつに分かれます。
あんな素晴らしい国はないという人と、あんな国二度と行きたくないという人。
よくインドは好きか嫌いかどちらかになると言いますが、イランはある意味それ以上かもしれません。
嫌いな人に言わせると、特に若者がムカつくというのです。
へらへらと絡んできたり、馬鹿にしたように話しかけてきたり、時には石を投げつけてきたりもすると言います。
僕もそんな嫌な目に会うのかとかなり心配してイランに来たのですが、たま変な奴もいますがそれほど気になる程度ではありません。
やはり親切な人が多いという印象を持ったのでした。
運が良かったのでしょうか。
それとも、僕があまりにも鈍感で嫌がらせをされて気づいていないってことなんでしょうか。
まぁ、楽しく旅ができてなによりです。
| sin | イラン | 18:46 | comments(2) | trackbacks(0) |


マシュハドはイランで一番重要なイスラム教の聖地です。
ここには8代目エマーム・レザーの聖墓があります。
イランだけではなく近隣諸国からも多くの巡礼者がこの地を目指しやってきます。
日本人の旅行者と話をしてイランでどこが良かったという話になるとこの町を挙げる人が多いです。
しかし、欧米人の旅行者の口からその名が出ることはほとんどありません。
これは不思議に思っていたのですが、実際に来てみるとその理由は分かりました。

ここの見所は、町の中心にある通称ハラムと呼ばれるハラメ・モタッハル広場。
ここにエマーム・レザーの聖墓をはじめ、モスクや神学校などの宗教施設が集まっています。
ハラムに入るためには聖域(バスト)と呼ばれる通路を通らなければなりません。
そこでは厳重なボディーチェックがあります。
昔は旅行者でもエマーム・レザーの聖墓以外は自由に見学できたらしいのですが、現在は必ずガイドによってビデオなどを見せられ説明を受けなければならなく、運が悪ければその後もずっと付きまとわれてしまうのです。
ガイドに無料で案内してもらえるなんていいじゃないかと思うかもしれませんが、それではエマーム・レザーの聖墓に行けなくなってしまうのです。
他の旅行者の話だとハラムの中に入ってしまえば、後はなにも咎められることもなしにエマーム・レザーの聖墓まで行けてしまうということなのです。
ですからできれば1人で自由に見たいのです。

夜6時に過ぎにハラムへ向います。
ここは24時間開いているのです。
そして、ここを訪れるなら建物がライトアップされる夜が断然良いらしい。
ちょっと緊張してハラムの南側にある入口をくぐると、男の係員により簡単なボディーチェックを受けます。
しかし、係員は僕がカメラを持っているのを見つけるとこれは持ち込めないと言います。
仕方ないので外にある荷物預り所にカメラを置いてきます。
そして、再度チェックを受けると、すんなり入場を許可されました。
やった、入れた、と思い歩き出すと、ちょっと待てとさっきの係員から呼び止めてきます。
そして、あなたはモスリムか?と訊いてきます。
「YES」と言おうかとも思いましたが、嘘を言ったのがばれたらややこしいことになるのではないかと思い「NO」と答えます。
すると、ツーリストはガイド無しでは入場できないと言います。
さらにもうガイドはいないからまた明日朝出直せとも言ってきます。
そして、問答無用に追い出されてしまったのです。
でもこれで入るチャンスが無くなった訳ではないのです。
何故ならば入口はそこだけでなく他に何箇所もあるから。
そして10分ほど歩き、東側の入口に行きます。
今度はツーリストであることがばれにくいように、なにも話さずさりげなくボディーチェックを受けます。
今回はあっさりと入場を許可されます。
今度は呼び止められることもありません。
やった〜入れた〜。

ハラムの建物は予想以上に綺麗でした。
ライトアップされ輝く様は、聖地と呼ぶに相応しい神々しさです。
建物の周りをぐるっと回った後、靴を脱ぎビニール袋に入れモスクに入ります。
中の広いスペースには大勢の人がいます。
熱心にお祈りをしている人もたくさんいます。
中には涙ぐんでいる人もいます。
さらに奥へと進むと人の数も増え混雑してきます。
そして、鏡のモザイクで壁中が覆われた光り輝く部屋と到達します。
ここがエマーム・レザーの聖墓がある部屋です。
部屋の中央の置かれた銀の柵で囲まれた聖墓の周りはさらに大勢の人で埋め尽くされています。
静かに祈るというのではなく、少しでもその柵に手を触れようとする人々の熱気で溢れかえっています。
今までいろんな宗教施設を見てきましたが、それらはほとんどが神秘的で静かな印象を与えるものでした。
しかし、ここはまさしく熱気と興奮が渦巻いています。
初めて宗教が持つその熱い力に触れたような気がします。
こんなにも人を高揚させる宗教とはいったいなんなんであろうかと改めて考えさせられます。
日本の旅行者たちがマシュハドはすごいって言っていた意味が分かりました。
そして、欧米人があまりマシュハドの話をしないのも。
東洋人であれば黙っていればここまで入ってこれますが、白人である彼らはその容姿から簡単に入場を拒まれてしまうでしょう。
確かにこの聖墓を見れなければ、旅行者にとっての魅力も半減してしまうでしょう。
しかし、聖墓を見ることができて良かったと思う反面、やはりモスリムでない僕が興味本位で来てはいけなかったのかなという思いもあります。
| sin | イラン | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
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