たびタビ旅
旅日記。中南米、アジアなどの2年4ヶ月半の旅。

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いよいよ南米4カ国目、パラグアイ入国です。
ポサダより、バスで向かいます。
バスといっても、普通の市バスで料金もたった2ペソ(約80円)。
乗っている人たちも、外国に行くというよりちょっと隣町までって感じ。
8時半ごろバスは出発して15分ほどで、まずは大きな川の手前にあるアルゼンチン側のイミグレに到着。
そこでバスを降り、出国手続き。
その間にバスは先に行っちゃいました〜、あ〜れ〜。
でも、大丈夫、後からやってくる次のバスに乗ればいいのです。
バスチケットも前のバスの分が有効です。
前もってこの情報は旅友達に教えてもらっていたので、焦ることはありませんでしたが、知らなかったらさぞかしびびったことでしょう。
感謝です。
川に架かる橋を渡り、今度はパラグアイ入国手続き。
無事、完了。
パラグアイにゅ〜こ〜く。
そして、それから15分ほどさらに走り、目的の町、エンカルナシオンに到着。
アルゼンチンの町とは違い、ごみごみとした街にたくさんの人が行き交う雑然とした雰囲気をかもし出しています。
なんかいいですねぇ。

宿はガイドブックにも載っているバスターミナル目前のところ。
入ると若い女性のかたがでてきて、「こんにちは」と。
なんとここの女の人、日本語を話します。
それもそのはず日系移民の方なんです。
移民と言えばブラジルが有名ですが、実はパラグアイにもたくさんの日本人の方が来られているのです。
そのため、日本の食材を扱う食料品店や日本料理屋もあります。
ということで、今日の昼飯は日本食!
食べたのは、「カツ丼」!!
日本とまったく変わらない味。
おいしゅうございました。




| sin | パラグアイ | 06:40 | comments(0) | trackbacks(0) |


朝起きて、宿のすぐ近くにあるブラジル領事館へ行きます。
前日申請しておいたブラジルのビザを取りに行くのです。
南米を旅する時にほとんどの国ではビザをとる必要がないのですが、唯一ブラジルだけがビザが必要なんです。
ヨーロッパ諸国の人たちは必要ないっていうのに、日本人はいるのです。
しかも70ドルほども払って。
腹立たしいことこの上ないです。
アメリカ人は100ドル払わないといけないので、それに比べればまだましですが。
では、なんでパラグアイのこんな小さな田舎町で取るのか。
それは、この街がこの周辺で一番ブラジルビザが取りやすいのです。
例えば、アルゼンチンのブエノスアイレスで取ろうと思うと、必ず出国用の飛行機やバスのチケット(そんなものもってない!)が必要になってきますし、プエルトイグアスの町で取ろうとすると30日滞在のビザしかもらえない。
しかし、この町ではチケットもなしで90日のマルチビザが簡単に取れてしまうのです。
同じブラジル領事館だというのに不思議なもんです。
朝8時から12時の間に来いって言われてたので、9時頃行ったら急にばたばたしだして11時にもう一度来てくれって。
おいおい俺のビザのこと忘れてただろ〜。
でも、黒人の太った愛嬌あるおばちゃんに免じて笑って許してあげる。
そうそう領事館では笑顔を大切にしなきゃね。
11時に再度行くと、今度はちゃんとパスポートの中に90日のマルチビザが貼ってありました。
ブラジルビザ、ゲットー!!

昼からは、この町の郊外にあるトリニダー遺跡へ。
実はここに行くのを前々からちょっと楽しみにしてました。
ガイドブックによると、「人々がほとんど訪れない世界遺産の内のひとつ」であるからです。
どんなところじゃ、それは。
バスに乗って40分ほど、道路沿いの小さなバス停に降ろされます。
そこから歩くこと15分ほど、見えてきましたトリニダー遺跡。
この遺跡、先日行ったポサダの近くのイグナシオンミニと同じ時期に作られた教会跡です。
入り口には男の人、女の人が一人づつ暇そうに話をしながら座っています。
入場料は5000G(約120円)。
いいぞパラグアイ、この価格。
もちろん外国人料金ではない。
アルゼンチンとはえらい違いだ。
天気はあいにくの曇り空。
たまに小雨が降り出してきて遺跡の下で雨宿りしながらの観光。
2、3週間前までこの辺りの最高気温40度を越えていたというから、それに比べれば涼しくていいでしょう。
しかし、ここ、ほんとうに人がいない。
団体客は皆無だし、僕が入場した時には4、5名いた人たちもしばらくするといなくなり、僕ひとりに。
世界遺産をひとりじめ。
開放的な緑の中の遺跡に、ボツンとひとりでいるのは少しいい気持ち。
遺跡自体もイグナシオンミニのものと比べても迫力はこちらのほうがあり、良いように感じる。
もうちょっとみんな来てあげてもいいのになぁと思ってしまう。
途中、小便がしたくなり、ここトイレもないので、罰が当たるかなと思いつつ遺跡内のはじっこの草むらで用を足す。
それだけ、ここ開放感があり素敵な場所でした。

1時間ほど滞在して帰ろうとした時、突然強い風が吹いたと思うとガジャブジャザジャーと大雨が降りだし、さらにピカッドンガラドガーンと雷まで鳴り出す。
あわててそばにあった掘っ立て小屋の軒先に避難します。
しかし、呆れるほどふるもんです。
20分経っても、30分経っても止むどころか、弱まる気配もなし。
夏だというのに、寒くなってきます。
やっぱり小便をした罰が当たったのでしょうか。
すんませんでした。








| sin | パラグアイ | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) |


パラグアイの首都、アスンシオンにやって来ました。
泊まっている宿は、日系人経営の、その名も「ホテル内山田」。
日本人旅行者の間では有名なんですが、来てびっくり。
なんと普通のホテルです。
普通のホテルと言っても分かりにくいかもしれませんが、いつも泊まっているようなベッドだけがあるという簡易な宿ではなく、広いベッドにトイレにシャワーになんとバスタブ!までついてる日本で言うビジネスホテルみたいなんです。
値段も15USドルと高いのですが、その価値は十分あります。
まず、バスタブ。
ふだんシャワーしか浴びれないので、熱いお湯にゆっくりつかる気分はまさに極楽。
風呂上りのクーラーに効いた部屋もまた気持ちが良い。
そして、何よりもすばらしいのが朝食。
白いご飯に、味噌汁、焼き魚、のり、梅干し、生卵、納豆などなど食い放題。
朝っぱらからご飯4杯頂きました。
日本の朝食、バンザイ!

食後、ホテルに置いてある日経新聞を読みながらちょっと一服。
お腹も落着いたので、街を歩きに行きます。
他の南米の街の例に洩れず日曜日のため、ほとんどの店が閉まりゴーストタウンと化しています。
しかし、宿の近くに市場を発見。
閉まっている店もあるものの、雑貨や青果を扱う店がたくさん並んでおりなかなかの賑わい。
美味そうなソーセージを焼いて売っている屋台を見つけました。
食えるかな?
お腹と相談。
大丈夫ということで、1本注文。
ソーセージに芋を蒸かしたみたいなものが付いてきました。
なかなか美味い。
ふと、横を見ると若い兄ちゃん達がビールを飲んでいます。
屋台のおばちゃんと目が合います。
「セルベッサ 僕も」
あっ、頼んじゃった。
仕方がない、今日は日曜日ってことでヨシとしよう。
おばちゃん、兄ちゃん達が話しかけてくれます。
パラグアイの人は、気軽に声をかけてきてくれいろいろと僕の相手をしてくれます。
アルゼンチンやチリとは違い、白人ではなくメスティソ(白人とインディオとの混血)の人達が国民のほとんどを占めているからでしょうか。
それとも日系移民が多いため、日本人に対して良い印象を持っているからでしょうか。
良く分かりませんが、おかげで毎日楽しく過ごすことができます。
気が付くと、ビール1リットルあまり飲み干してました。
ほんわり良い気分。
太陽が熱いです。
パラグアイ、見るとこないけど、良い国です。



| sin | パラグアイ | 06:56 | comments(3) | trackbacks(1) |


アスンシオンからバスで5時間ほどの場所にある日本人移住地コロニアルイグアスにやってきました。
日本人移民が開拓して作り上げた町です。
ここに最初に日本人が来たのは1961年と、それほど昔の話ではありません。
僕は、移民というともっと遠い昔のことだと思っていたので、少し驚きました。
町には想像していたより日本人の姿や日本語の看板は目につきません。
それもそのはず、他の土地に移った人や日本に帰国した人もいて、現在は住民の日系人の比率は10%ほどだそうです。
しかし、経済活動の90%は日本人が担っていて、町には日本の食材を扱うスーパー、農協、日本人学校、野球場(元ヤクルトの野球選手、岡林投手はこの町の出身らしいです。)などがあり、そこへ行くと当たり前のように、「今日も暑いですねぇ〜」なんて普通の日本語の会話がとびかっています。
こんなパラグアイの片田舎で日本語の会話を聞けるなんてなんか奇妙な感じを受けます。

泊まった宿は、「福岡旅館」。
もちろん朝食は、白いご飯、味噌汁などの日本の味。
宿のおばちゃんが作ってくれた、本物の味です。
日本へのノルスタジックで美味いと感じるのではなく、しっかり食事として美味い。
一口一口味わいながら食べました。

この町には夕方に着き、次の日の昼前には出発するという短い滞在であったこともあり、残念ながら地元の方といろいろ話をする機会はなかったのですが、農協の2階に展示されている移住当初の写真を見ると、原生林を焼き払い、家を建て、畑を作りと今までの苦労がしのばれます。
そして、ここで生まれ育った子供たちもしっかりとした日本語を話すなど、日本の文化を守っていこうとする姿を見ると、日本という国に日本人として生きることのすばらしさ、ありがたさを感じずにはいられません。

宿を出て、バス停を目指し照りつける太陽の下、バックパックを背負い赤茶けた道路を歩きます。
暑いなぁなんてぼんやりと歩いていると、突然大きな声で話しかけられました。
「こんにちは!」
驚いて振り向くと、そこには小学生低学年ぐらいの小さな女の子。
嬉しくなり、僕も元気に
「こんちには!」
| sin | パラグアイ | 08:48 | comments(0) | trackbacks(1) |
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